ものさ」
 お絹は煙管を取って又すい始めた。そうして、横眼で男の顔をじろじろ[#「じろじろ」に傍点]眺めていた。その蛇のような眼が男にはおそろしかった。
 お絹は色の青白い細面《ほそおもて》で、長い眉と美しい眼とをもっていた。林之助も昔はその妖艶なひとみの力に魅せられたのであった。しかもだんだんと深く馴染むに連れて、殊に一つの屋根の下に朝夕一緒に暮らすようになってから、彼女の妖艶な眼の底に言い知れぬ一種のおそろしい光りの忍んでいることを林之助は漸く発見した。自然の生まれ付きか、あるいは多年もてあそんでいる蛇の感化か、いずれにしてもお絹が蛇のような悽愴《ものすご》い眼をもっていることは争われなかった。お絹が天明五年|巳年《みどし》の生まれであるということも思いあわされて、林之助は迷信的にいよいよ怖ろしくなった。彼がふたたび窮屈の武家生活に立ち戻ろうと思い立ったのも、実はこの怖ろしい眼から逃がれようとするのが第一の目的であった。
 しかし林之助は、彼女の怪しい眼を恐れると同時に、彼女のあたたかい情けを忘れるほどの不人情者ではなかった。彼はお絹を振り放そうとは思わなかった。さりとて余りに接近
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