薬を飲まされて、あたりが少し明かるくなったように思われた。彼女は肱《ひじ》をついて試みに起き直ったが、もう眩暈《めまい》がするようなことはなかった。さっきは舞台で蛇を頸《くび》に巻いていると、その蛇がだんだんに強く絞め付けて来るように思われて、しだいに眼がくらんで気が遠くなった。それから楽屋へ運び込まれるまで、彼女はなんにも知らなかったのである。多年可愛がって使い馴らしている蛇が自分を絞める筈がない。まったく暑気あたりで眼が眩《くら》んだものだと、お絹はその当時のありさまをおぼろげな記憶の中から呼び出した。
「もう何ともありませんか」と、お花も摺り寄って訊いた。
「もう大丈夫、みんなもびっくりしたろうね。堪忍しておくれよ」と、お絹は案外にはきはきした声で言った。
「歩いて帰れますか。駕籠でも呼んでもらいましょうか」と、お花はまた訊いた。
「そうねえ」
 お絹は鳩尾《みずおち》をかかえるように俯向きながら考えていたが、ふと何物かがその眼先きをひらめいて過ぎたように、きっと顔をあげた。
「なに、もういいだろう。あたし、あるいて帰るよ。すぐそこだもの」
 酔いざめの人のように、まだ何となくふ
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