く思われてならなかったが、今の林之助としてはこれが最もたやすい方法であった。お絹も病気で寝ている。そこへ押し掛けて金の無心をいうのはあまり無面目《むめんぼく》の仕方だとは思いながらも、まさか泥坊もできない以上は、このくらいのことは我慢するよりほかはないと、彼は思い切って橋を渡った。
「やあ、旦那」
 楽屋番の豊吉に不意に声をかけられて、林之助はびっくりしたように立ち停まった。豊吉は楽屋の合い間を見て、お絹さんの家へちょっと見舞いに行って来たと言った。
「お絹さんはどうもよくありませんぜ。なんだかここがひどく切《せつ》ないと言ってね」と、彼はあばらのあたりを叩いてみせた。
「困ったね」
「あなたもいずれお見舞いでしょうが、まあ、いたわっておあげなせえましよ。お絹さんも可哀そうですよ。そう言っちゃ何ですけれども、楽屋の者なんてみんな不人情ですからね。本気になって世話をしているのは、あのちっぽけなお君という子だけでさあね」
 林之助はだまって突っ立っていた。観世物小屋のそうぞうしい鳴物の音も、彼の耳へは響かなかった。豊吉はまたささやいた。
「それから、旦那。まあ当分、不二屋へはいり込むのをお止しなせえましよ。お絹さんはそればかりを苦にしているんですから。ここであんまり心配させると猶《なお》なおからだの毒ですぜ」
「なに、この頃はちっとも行きゃあしねえんだ。お辰やお花のおしゃべりが詰まらねえことを言うんだろう」と、林之助はいい加減にごまかしていた。
「ほんとうですぜ。あたしが先きへ死ねば、きっと林さんを迎いに行くって、お絹さんがそう言っていましたぜ」
 豊吉は嚇《おど》すように言った。林之助はさびしく笑っていた。
「まあ、行っていらっしゃい」
 楽屋へはいってゆく豊吉のうしろ影を見送って、林之助の足はまた重くなった。お絹に金を借りるのはどうしても義理が悪いように思われた。このまま引っ返そうかとも考えたが、お絹がそれほどの容体ならば直ぐに見舞ってやらねばなるまい。ここまで来てから引っ返すという法はない。金の話は別として、ともかくも顔をみせて来なければ人情がないと思い直して、彼は又まっすぐに路を急いだ。
 路地をはいって格子をあけると、お君が出て来た。
「あら、豊さんが引っ返して来たのかと思ったら……。さあ、どうぞ」
 お君は急ににこにこ[#「にこにこ」に傍点]して林之助をお絹
前へ 次へ
全65ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング