で置いて帰った。
林之助は蒲団の上で、これだけのことをそれからそれへと繰り返して考えた。お里と自分とは、もう切り放すことのできない羇絆《きずな》が結び付けられたことを観念すると同時に、彼は言い知れぬ悔みと悩みとにひしひしと責めつけられた。こういう場合に大抵の人が試みるように、彼もそれを酒の科《とが》にかずけて、自分の重荷を軽くしようと努めた。しかしそんな卑怯なことで、自分の胸が安まろうとはさすがに思われなかった。
「おれは意気地がないな」と、彼は枕をつかんで自分をあざけった。
自分のふるい友達のなかには三人五人の堅気の女をだまして振り捨てた者もあった。吉原の女郎を欺して住み替えさせて、その金で芸者と駈落ちをした者もあった。しかし、自分はゆく先きざきで恋をあさって歩くような人間ではなかった。あとにもさきにもたった一度お絹と恋に落ちて、その罠《わな》から抜け出すことができないで、今ももがいているではないか。それがまた別の新しい罠にかかって、更に首を絞められてどうするのか。彼はつくづく今夜のおのれを悔まずにはいられなかった。そうして、あまりに正直に生まれ過ぎたおのれを歯がゆく思わずにはいられなかった。宵に軍鶏屋《しゃもや》を出たときの勇気と大胆とは、今の林之助の頭からは吹き消したように消え失せていた。
「こうなればお絹を捨てるか、お里にそむくか」
二つに一つに決めてしまわなければ、彼は一日も安心していられないように思われた。両手に桃桜などという洒落れた詞《ことば》は、林之助にはいっさい不通用であった。彼は桃か桜か、そのひと枝を大事に守っていなければ気が済まなかった。ものすごい蛇の眼を恐れていながらも、まったくお絹を見捨て得なかったのも、こうした正直な心のわずらいであった。世間普通の人の眼から見たらば、多寡が蛇つかいの女と水茶屋の女と、そんな女の二人や三人がなんだと言うかも知れない。それができないのを林之助はくやしく思った。腑甲斐《ふがい》なく思った。意気地なしだとも思った。彼はそこに自分の美しい魂を見いだし得ないで、かえって自分の馬鹿正直さが情けないようにも思われてならなかった。
それでも彼はやはりその美しい魂に支配されていた。どちらかの女に対して自分の罪を詫びて、あきらかに一人を捨てて一人を取ろうと決心した。しかも、これまでの行きがかりから言うと、彼はどうして
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