ように、お里は自分の頼りない身の上を語り出した。親ひとり子ひとりでほかには力になってくれる身寄りもないと、彼女は訴えるように言った。殊に母は病身であるから、いつどんな悲しいことが落ちかかって来るかも知れないなどと、心細いように言った。
話はいよいよ沈んで行った。
うす暗い心持ちでお絹の家を出た林之助は、ここで又こんな滅入った話を聞かされるのは辛かった。彼は陽気に冗談の一つも言って見たかった。店にいる時もおとなしいという評判の娘ではあるが、自分と二人ぎりの場合はいよいよおとなしい、むしろ陰気なくらいに沈んでいるのが、林之助にはなんだか物足らなかった。しかし、いかにおとなしいと言っても、もともとが水茶屋《みずぢゃや》の女である以上、ひと通りのお世辞や冗談ぐらいが言えないのではない。それが自分に対してはいつもまじめ過ぎるほど堅気らしく附き合っているのは、さすがに通り一遍の客とも思っていないのであろうかというような、一種のうぬぼれも林之助をそそのかした。又そればかりでなく、心の弱い彼としては、こうした涙の多い話はうわの空で聞き流していることは出来なかった。彼は次第にその話の底の方まで引き入れられて、おのずと涙を誘い出された。
そのうちに鮓が来た。お里はすぐに燗の支度をした。自分はちっとも飲めないと言ったが、それでも無理に二、三度は猪口《ちょこ》を受取った。林之助も飲んだ。酒の酔いが若い二人を誘って、だんだんに明るい華《はな》やかな方へ連れ出した。林之助も軽い冗談をいった。お里も袂を口に掩いながら笑った。彼女はもう酔ったといって、夢見る人のようにうっとりとしていたが、雨の音がざっとまた強くなったので、お里は縁側へ出て、まばらに閉めてあった雨戸をばたばた[#「ばたばた」に傍点]と閉め切ってしまった。林之助も起って手伝ってやった。
「どうも済みません」
「なあに、ここの家《うち》へお婿に来たんだから」と、林之助はお里の肩を軽くゆすって笑った。
どこかで雨漏《あまも》りがするらしく、天井の裏でときどきにしずくの落ちる音がほとほと[#「ほとほと」に傍点]と聞えるのも寂しかった。紙のすすけた行燈の灯は陰ったようにぼんやりと暗かった。二人はしばらく黙って火鉢の前にむき合っていた。
四つ少し前に林之助は帰ったが、阿母《おふくろ》はそれまで帰って来なかった。今夜も林之助は幾らか包ん
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