《しろがね》を溶かしたように白くかがやきながら流れていた。長い橋の上には、雪駄《せった》の音もしないほどに夜露がしっとり[#「しっとり」に傍点]と冷たく降りていた。林之助はそのしめった夜露を踏んで急ぎ足に橋を渡って行った。
「門番のじじいにまた忌《いや》な顔をされるのか」
そんなことを考えながら林之助は広小路へ出ると、列び茶屋でももう提灯をおろし始めたとみえて、どこの店でも床几を片づけていた。玉蜀黍《とうもろこし》や西瓜や枝豆の殻《から》が散らかっているなかを野良犬がうろうろさまよっていた。
「今晩は。今お帰りでございますか」
自分の前をゆく若い女がふと振りむいて丁寧に挨拶したので、林之助も足を停めてよく見ると、女は不二屋のお里であった。
「やあ、今晩は。里《さあ》ちゃんの家《うち》はこっちへ行くの」
「ええ、外神田で……」
向柳原へ帰る男と外神田へ帰る女とは、途中まで肩をならべて歩いた。お絹から思いもよらない疑いを受けている林之助は、こうして夜ふけにお里と繋がって歩いていることが何だか疚《やま》しいように思われてならなかった。しかし先方から馴れなれしく近寄って来るものを、まさかに置き去りにして逃げて行くほどの野暮《やぼ》にもなれなかった。二人は軽い冗談などを言いながら連れ立って歩いた。
「いいお月さまですことね」と、お里は明るい月をさも神々《こうごう》しいもののように仰いで見た。
「ほんとうにいい月だ。あしたのお月見はどこも賑やかいだろう。里ちゃんも船か高台か、いずれお約束があるだろうね」
「いいえ、家《うち》がやかましゅうござんすから」
家がやかましいのか、本人の生まれ付きか、とにかくにお里が物堅い初心《うぶ》な娘であることは林之助も認めていた。彼はお絹の妖艶な顔と、お里の人形のような顔とを比較して考えた。執念ぶかそうな蛇の眼と、無邪気らしい鈴のような眼とを比較して考えた。そうして、なんにも知らずに人から呪われているお里が気の毒にも思われた。
お絹は今夜自分を不二屋へ引き摺って行って、彼女の見る前でお里と手を切らせると言った。勿論、それは一時の言い懸りではあろうが、もし果たしてその通りに二人が不二屋へ押し掛けて行ったら、お里は一体どうするであろう。それを考えると、林之助はおかしくもあり、また気の毒でもあった。そのお里はなんにも知らずに自分と一緒にあるい
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