離魂病
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)江戸川端《えどがわばた》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あっ[#「あっ」に傍点]と
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     一

 M君は語る。

 これは僕の叔父から聴かされた話で、叔父が三十一の時だというから、なんでも嘉永の初年のことらしい。その頃、叔父は小石川の江戸川端《えどがわばた》に小さい屋敷を持っていたが、その隣り屋敷に西岡鶴之助という幕臣が住んでいた。ここらは小身の御家人《ごけにん》が巣を作っているところで、屋敷といっても皆小さい。それでも西岡は百八十俵取りで、お福という妹のほかに中間《ちゅうげん》一人、下女一人の四人暮らしで、まず不自由なしに身分だけの生活をしていた。西岡は十五の年に父にわかれ、十八の年に母をうしなって、ことし二十歳《はたち》の独身者《ひとりもの》である。――と、まず彼の戸籍しらべをして置いて、それから本文に取りかかることにする。
 時は六月はじめの夕方である。西岡は下谷《したや》御徒町《おかちまち》の親戚をたずねて、その帰り途に何かの買物をするつもりで御成道《おなりみち》を通りかかると、自分の五、六間さきを歩いている若い娘の姿がふと眼についた。
 西岡の妹のお福は今年十六で、痩形の中背の女である。その娘の島田に結っている鬢《びん》付きから襟元から、四入《よつい》り青梅《おうめ》の単衣《ひとえもの》をきている後ろ姿までがかれと寸分も違わないので、西岡はすこし不思議に思った。妹が今頃どうしてここらを歩いているのであろう。なにかの急用でも出来《しゅったい》すれば格別、さもなければ自分の留守の間に妹がめったに外出する筈がない。ともかくも呼び留めてみようと思ったが、広い江戸にはおなじ年頃の娘も、同じ風俗の娘もたくさんある。迂濶に声をかけて万一それが人ちがいであった時には極まりが悪いとも考えたので、西岡はあとから足早に追いついて、まずその横顔を覗こうとしたが、夏のゆう日がまだ明るいので、娘は日傘をかたむけてゆく。それが邪魔になって、彼はその娘の横顔をはっきりと見定めることが出来なかった。さりとて、あまりに近寄って無遠慮に傘のうちを覗くことも憚《はばか》られるので、西岡は後になり先になって小半町ほども黙って跟《つ》いてゆくと、娘は近江屋という暖簾《のれん》
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