思って、今もすぐに追いかけて行ったのであるが、そのゆくえは更に知れない。今夜こそは取っ捉まえて詮議しようと思ったのに又もや取逃がしてしまったかと、かれは残念そうに言った。
「むむう。そんなことがあったのか。」と、叔父もすこしく眉をよせた。「しかしそれはやっぱり他人の空似だろう。二度も三度も貴公がそれに出逢ったというのが少しおかしいようでもあるが、世間は広いようで狭いものだから、おなじ人に幾度もめぐり逢わないとは限るまいじゃないか。」
「それもそうだが……。」と、西岡はやはり考えていた。「わたしにはどうも唯それだけのこととは思われない。」
「まさか離魂病というものであるまい。」と、叔父は笑った。
「離魂病……。そんなものがある筈がない。それだからどうも判らないのだ。」
「まあ、詰まらないことを気にしない方がいいよ。」
叔父は何がなしに気休めをいっているところへ、西岡の屋敷から中間の佐助があわただしく駈け出して来た。かれは薄暗いなかに主人の立ちすがたをすかし視て、すぐに近寄って来た。
「旦那さま、大変でございます。お嬢さんが……。」
「妹がどうした。」と、西岡もあわただしく訊きかえした。
「いつの間にか冷たくなっておいでのようで……。」
西岡もおどろいたが、叔父も驚いた。ふたりは佐助と一緒に西岡の屋敷の門をくぐると、下女のお霜も泣き顔をしてうろうろしていた。お福は奥の四畳半の肱かけ窓に倚《よ》りかかったままで、眠り死にとでもいうように死んでいるのであった。勿論、すぐに医者を呼ばせたが、お福のからだは氷のように冷たくなっていて、再び温かい血のかよう人にならなかった。
「あの女はやっぱり魔ものだ。」
西岡は唸るように言った。
三
たった一人の妹をうしなった西岡の嘆きはひと通りでなかった。しかし今更どうすることも出来ないので、叔父や近所の者どもが手伝って、型の通りにお福の葬式をすませた。
「畜生。今度見つけ次第、いきなりに叩っ斬ってやる。」
西岡はかたきを探すような心持で、その後は努めて市中を出あるいて、かの怪しい娘に出逢うことを念じていたが、彼女は再びその姿を見いだすことが出来なかった。
おなじ江戸川端ではあるが、牛込寄りのほうに猪波図書《いなみずしょ》という三百五十石取りの旗本の屋敷があった。その隠居は漢学者で、西岡や叔父はかれについて漢籍を学び
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