ばかりである。

     雁と蝙蝠

 七月二十四日。きのうの雷雨のせいか、きょうは土用に入ってから最も凉しい日であった。昼のうちは陰《くも》っていたが、宵には薄月のひかりが洩れて、凉しい夜風が簾《すだれ》越しにそよそよ[#「そよそよ」に傍点]と枕元へ流れ込んで来る。
 病気から例の神経衰弱を誘い出したのと、連日の暑気と、朝から晩まで寝て暮しているのとで、毎晩どうも安らかに眠られない。今夜は凉しいから眠られるかと、十時頃から蚊帳《かや》を釣らせることにしたが、窓をしめ、雨戸をしめると、やはり蒸暑い。十一時を過ぎ、十二時を過ぎて、電車の響きもやや絶え絶えになった頃から少しうとうと[#「うとうと」に傍点]して、やがて再び眼をさますと、襟首には気味のわるい汗が滲んでいる。その汗を拭いて、床の上に起き直って団扇《うちわ》を使っていると、トタン葺の屋根に雨の音がはらはら[#「はらはら」に傍点]ときこえる。そのあいだに鳥の声が近くきこえた。
 それは雁の鳴く声で、御堀の水の上から聞えて来ることを私はすぐに知った。御堀に雁の群が降りて来るのは珍しくないが、それには時候が早い。土用に入ってまだ幾日も
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