た旅人が湯をもらいに来ることもある。そんなことはさのみ珍らしくもないので、親切な重兵衛はこの旅人をも快《こころよ》く迎い入れて、生木《なまき》のいぶる焚火の前に坐らせた。
 旅人はまだ二十四五ぐらいの若い男で、色の少し蒼ざめた、頬の痩せて尖った、しかも円い眼は愛嬌に富んでいる優しげな人物であった。頭には鍔《つば》の広い薄茶の中折帽をかぶって、詰襟ではあるがさのみ見苦しくない縞の洋服を着て、短いズボンに脚絆草鞋という身軽のいでたちで、肩には学校生徒のような茶色の雑嚢をかけていた。見たところ、御料林を見分《けんぶん》に来た県庁のお役人か、悪くいえば地方行商の薬売りか、まずそんなところであろうと重兵衛はひそかに値踏みをした。
 こういう場合に、主人が旅人に対する質問は、昔からの紋切り形であった。
「お前さんはどっちの方から[#「から」は底本では「なら」]来なすった。」
「福島の方から。」
「これからどっちへ……。」
「御嶽を越して飛騨《ひだ》の方へ……。」
 こんなことを言っているうちに、日も暮れてしまったらしい。燈火《あかり》のない小屋のなかは燃えあがる焚火にうすあかく照らされて、重兵衛の
前へ 次へ
全25ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング