引っ返すか、それとも黒沢口から夜通しで登るか、早くどっちかにした方がいいでしょう。」
「そうですか。」と、旅人はまた笑った。
消えかかった焚火の光りに薄あかるく照らされている彼の蒼ざめた顔は、どうしてもこの世の人間とは思われなかったので、重兵衛はいよいよ堪らなくなった。しかしそれは自分の臆病な眼がそうした不思議を見せるのかも知れないと、彼はそこにある鉈に手をかけようとして幾たびか躊躇しているうちに、旅人は思い切ったように起《た》ちあがった。
「では、福島の方へ引っ返しましょう。そしてあしたは強力《ごうりき》を雇って登りましょう。」
「そうなさい。それが無事ですよ。」
「どうもお邪魔をしました。」
「いえ、わたくしこそ御馳走になりました。」と、重兵衛は気の毒が半分と、憎いが半分とで、丁寧に挨拶しながら、入口まで送り出した。ほんとうの旅人ならば気の毒である。人をだまそうとするえてもの[#「えてもの」に傍点]ならば憎い奴である。どっちにも片付かない不安な心持で、かれは旅人のうしろ影が大きい闇につつまれて行くのを見送っていた。
「お父《とっ》さん。あの人は何処へか行ってしまったかい。」と、太
前へ
次へ
全25ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング