で、湯屋へ好い着物をきて行くと盗難の虞れがあるとも云い、十人が十人、木綿物を着て行くのを例としていたが、その風俗が次第に変って、銘仙はおろか、大島紬、一楽織の着物や羽織をぞろりと着込んで、手拭をぶら下げてゆく人も珍しくないようになった。一般の風俗が華美に流れて来たことは、これを見ても知られると、窃に嘆息する老人もあったが、滔々たる大勢を如何ともする事は出来なかった。
それを附目でもあるまいが、湯屋の盗難は多くなった。むかしから「板の間稼ぎ」という専門の名称もあるくらいで、湯屋の盗難は今に始まったことでも無いが、警察から屡々注意するにも拘らず、男湯にも女湯にも板の間かせぎが跋扈する。それを防ぐために、夜間混雑の際には脱衣場に番人を置くことになったが、大抵は形式的に十四五歳の少女を置くに過ぎず、夜が更けると居睡りなどをしているのが多いので、これ等の番人は案山子も同様と心得て、浴客自身が警戒するのほかは無かった。湯屋で盗難に逢った場合には、その被害者に対して営業者が弁償の責を負うと云う事になったが、それも殆ど有名無実で、所詮は被害者の泣寝入りに終った。それでも湯屋へ美服を着てゆくのは止まな
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