は娘が坐っていたのであるが、顔なじみの客が来れば何とか挨拶して話しかける、客の方でも何か話しているのが多かった。世の中が閑であったせいもあろうが、そんなわけで双方の親しみが深いので、前にいう菖蒲湯その他のおひねりも快く支払われたのであろう。
夜は格別、昼間は入浴の客も少く、番台にぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]坐っているのも退屈であるので、大抵は小説や雑誌などを読んでいる。その読物を貸してくれる客も多かった。貸してくれるばかりでなく、又それを借りて行く客もある。つまりは番台を仲介所にして、小説や雑誌の回覧を行っている形であった。一々に見物するわけでもあるまいが、番台の人たちは芝居の噂などをよく知っていて、今度の歌舞伎座はどうだとか、新富座はどうだとか云って話した。したがって、湯屋や髪結床の評判が芝居や寄席の人気にも相当の影響をあたえたらしく湯屋の脱衣場や流し場には芝居の辻番附や、近所の寄席のビラが貼られていた。
*
日清戦争以後の頃から著るしく目立って来たのは、美服を着て湯屋へゆく人の多くなった事である。女客は格別、男客は不断着のままで入浴に出かけるのが普通
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