出来ないのは判り切っていた。小普請入りといっても、必ず一生涯とばかりは限らない。本人の身持ちが改まって確かに見どころがあると決まれば、またお召出しとなるかも知れないというのをせめてもの頼みにして、お時はお縫に泣いて別れた。
 帰りぎわに用人の三左衛門にも逢った。彼は譜代《ふだい》の家来であった。五十以上の分別ありげな彼の顔にも、苦労の皺《しわ》がきざんでいるのがありありと見えた。
「いろいろ御苦労がございますそうで……」と、お時は涙を拭きながら挨拶した。
「お察し下さい」
 三左衛門はこう言ったばかりで、さすがに愚痴らしいことはなんにも口に出さなかったが、大家《たいけ》の用人として定めて目に余る苦労の重荷があろう。それを思うと、お時は胸がまたいっぱいになった。
 初めはまっすぐに帰る心づもりであったが、この話を聞いたお時は今にも藤枝のお家《いえ》が亡びるようにも感じられたので、彼女《かれ》は番町の屋敷を出ると、さらに市ヶ谷までとぼとぼ[#「とぼとぼ」に傍点]と辿《たど》って行った。
 叔父の吉田の屋敷は市ヶ谷にあった。彼は三百五十石で、藤枝にくらべると小身ではあるが、先代の外記の肉身の
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