。それに引き替えて、あの人たちは自由である。花野を自由自在に飛びまわる蝶や蜻蛉である。綾衣はその自由が羨ましく妬ましく思われてならなかった。妬み深いのは廓の女の癖であると、彼女は自分で自分を戒めて、ひとを羨むのは恥かしいとも思った。妬むのはおとなげないとも思い直した。そうは思いながらも、二人の低い笑い声などが耳にはいると、綾衣は襖越しに何か皮肉なことばでも投げつけてやりたいような気がしないでもなかった。
「ほんに馬鹿らしい」と、綾衣は自分をまた叱った。外記の来る夜のことを考えたら、十吉の邪魔などのできた義理ではない。自分はなぜこう心がひがんで来たのかと、彼女はおのれを卑しみながら心はやっぱり二人の話し声の方に惹きつけられていた。
家《うち》じゅうが急に暗くなったと思うと、窓に近い蓮池に雨の音がばらばら[#「ばらばら」に傍点]と聞えた。
「また降って来た」という十吉の声といっしょに、激しい雷が屋根の上をころげ廻るように鳴って通った。綾衣は思わず両手で耳をふさいだ。雨は滝のように降って来た。雷はつづけて鳴った。
こういう時に外記が来あわせていて、二人が抱き合ったままでこの雷に撃たれて死んだら、いっそ思い切りがよかろうと綾衣はかんがえた。
お時はずぶ[#「ずぶ」に傍点]濡れになって帰って来た。
七
廓をぬけ出した綾衣のゆくえは大菱屋でも手を分けて詮議していた。相手が外記であることは大抵察しているものの、痩せても枯れても天下の旗本という名に対して迂闊に懸け合いはできない。こっちに確かな証拠を握っていない以上は、逆捻《さかね》じに言いがかりを付けられて、飛んだ目に逢うことがある。玉《たま》をどこへか忍ばして置いて、抱え主から懸け合いの来るのを待っているなどは、この頃の悪《わる》旗本や悪|御家人《ごけにん》には珍らしくない。大菱屋でもそれを懸念して、外記の屋敷の方へは容易に取ってかからなかった。
女は屋敷内に隠れていそうもない、きっと他に忍ばしてあることと大菱屋では睨んだ。今は両親《ふたおや》とも死に絶えてしまったが、綾衣は神田の生まれで、そこには遠縁の者があるとか聞いているので、まずそこらへ探りを入れているがまだ手がかりはない。
お時が馬道から聞き出して来た噂はこれだけに過ぎなかったが、とにかくに屋敷の方へは直接に懸け合い込まないというので、綾衣も安
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