で酒を飲んだ。それが毒酒《どくしゅ》であったので、ふたりともに命をうしなったのである。それだけのことは検視の上で判明した。しかも、かのふたりは同町内に住んでいる無頼者《ならずもの》であることも判った。唯わからないのは、ふたりを殺した毒酒の出所で、平吉が毒酒をたくわえておく筈もない。ふたりが毒酒を持って来て飲む筈もない。酒は一升樽を半分以上も飲み尽くしてあった。
それからまた二日ほど過ぎた。
両国の橋番のおやじは今朝《けさ》も幾匹かのうなぎを大川へ放していると、かねて顔を識っている本所の左官屋の女房が通りかかった。女房は立ちどまって挨拶して、誰にたのまれてその鰻を放すのだと訊いたので、おやじは煙草屋の平吉の供養《くよう》のためであると正直に話した。平吉は殺される日の夕方ここに寄って百両の富にあたった礼だといって三分の金をくれて、放しうなぎの惣仕舞をして行った。そのうなぎは翌朝みんな放してしまったが、考えると平吉が気の毒でならない。富に当ったのが彼の禍いで、それを教えたのは自分であるから、いよいよ彼に対して済まないような気がしてならない。せめてその供養のために、こうして毎朝幾匹ずつかの放し鰻をしているのであると、彼は洟《はな》をすすりながら話しつづけると、女房は黙って聴いていた。
「平さんもほんとうにお気の毒ね。あたしも御供養《ごくよう》に放し鰻をしましょうよ。」
女房から一分の金を渡されて、おやじは又おどろいた。せいぜい五十文か百文が関の山であるのに、平吉は格別、この女房までが一分の金をくれるのはどうしたのであろうと、少しく不審そうにその顔をながめていると、女房は自分の手で小桶から一匹の小さい鰻をつかみ出して川へ投げ込んだ。つづいて自分も身を投げた。橋番のおやじは呆気《あっけ》に取られて、しばらくは人を呼ぶ声も出なかった。
死人に口無しで、もとより詳しい事情はわからないが、平吉に毒酒を贈ったのはこの女房であったらしい。女房は亭主の留守に平吉から七十五両の金をあずけられて、俄かに悪心を起してその金をわが物にしようと巧《たく》んだ。かれは日の暮れるのを待って平吉の家をたずねて行って、富にあたった祝いとでも名をつけて一升樽を贈ったのであろう。
しかしその時は平吉ももう酔っているので、その上に飲む元気もなく、そこらへ酒樽を投げ出したままで正体もなく寝入ってしまったところへ、町内のならず者ふたりが忍び込んで来た。かれらは平吉が富に当ったことを知っていて、まず彼を刺し殺してその金を奪い取るつもりであったらしいが、金のありかは判らなかった。かれらは死人のふところから使い残りの一両あまりを探し出して、わずかに満足するほかはなかった。かれらは行きがけの駄賃に、そこにある酒樽に眼をつけて飲みはじめた。酒には毒が入れてあったので、かれらはその場で倒れてしまった。
以上の想像が事実とすれば、平吉を殺そうとした酒が却って平吉の味方になって、その場を去らずに仇《かたき》二人をほろぼしたのである。左官屋の女房が酒を贈らずとも、平吉はしょせん逃がれない命で、もしその酒がなかったらば賊は易々《やすやす》と逃げ去ったであろう。平吉に取って、かの女房は敵か味方か判らない。思えば不思議なめぐりあわせであった。
しかし、それで女房の罪が帳消しにならないのは判りきっていた。たといその結果がどうであろうとも、かれは預りの金を奪わんがために毒酒を平吉に贈ったのであるから、容易ならざる重罪人である。女房も詮議がだんだんきびしくなって来たのを恐れて、罪の重荷を放しうなぎと共に大川へ沈めたのであろう。
秋が深くなって、岸の柳のかげが日ごとに痩せて行った。橋番のおやじは二人の供養のために、毎あさの放し鰻を怠らなかった。
底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「民衆講談」
1923(大正12)年11月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
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