れが洋服を着た男であるともいい、あるいは筒袖のようなものを着た女であるともいい、その噂はまちまちであったが、結局とりとめたことは判らなかった。
 いずれにしても、この不意の出来事が界隈の人びとをおどろかしたのは言うまでもない。係りの役人の取調べに対して、おすまはこういう事実を打明けた。
「わたくしの連合《つれあ》いは大沢喜十郎と申しまして、二百五十石取りの旗本でございましたが、元年の四月に江戸を脱走して奥州へまいりました。その時に用人の黒木百助と、若党の村田平造も一緒に付いてまいりましたが、連合いの喜十郎と用人の百助は白河口の戦いで討死をいたしました。若党の平造はどうなったか判りませんが、身分の軽い者でございますから、おそらく無事に逃げ延びたものであろうと存じておりますと、昨年の六月、両国の広小路でふとめぐり逢いましたのでございます。平造は案の通り、無事に奥州から落ちてまいりまして、それから横浜へ行って外国商館に雇われていると申すことで、四年のあいだに様子もたいそう変りまして、唯今ではよほど都合もよいような話でございました。
 わたくし共は主人を失い、屋敷も潰《つぶ》れてしまいまして、
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