然に遠慮がなくなって婿の候補者を二、三人推薦する者もあったが、おすま親子はその厚意を感謝するにとどまって、いつも体《てい》よく拒絶していた。それでは、あの村田という人をお婿にするのかと露骨に訊《き》いた者もあったが、おすまはただ笑っているばかりで答えなかった。
 しかし従来の関係から推察して、かの村田という男がお鶴の婿に決められたらしいという噂が高くなった。以前はあまり身だしなみもしなかったが、お鶴もこのごろは髪を綺麗に結い、身なりも小ざっぱりとしているので、容貌のいいのがまた一段と引立ってみえた。
 九月の初めである。この当時はまだ旧暦であるから、朝夕はもう薄ら寒くなって来たので、お鶴は新しい袷を着て町内の湯屋へ行った。きょうは午頃《ひるごろ》から細かい雨が降っていたので、お鶴は傘をかたむけて灯ともし頃の暗い町をたどって行くと、もう二足《ふたあし》ばかりで湯屋の暖簾《のれん》をくぐろうとする所で、物につまずいたようにばったり倒れた。鋭い刃物に脇腹を刺されて殆んど声も立てずに死んだのである。往来の人がそれを発見して騒ぎ立てた頃には、雨の降りしきる夕暮れの町に加害者の影はみえなかった。そ
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