は余計な気を揉むものがあったが、痩せても枯れても相手が士族さんであるから、うかつなことも言われないという遠慮もあって、周囲の人たちも唯いたずらにかれらの運命を眺めているばかりであった。
 それがこの七、八月ごろからだんだん工面《くめん》が好くなったらしく、母も娘も秋から冬にかけて、新しい袷《あわせ》や綿入れをこしらえたのを、眼のはやい者がたちまち見つけ出して、それからそれへと吹聴《ふいちょう》した。それだけでも井戸端のうわさを作るには十分の材料であるのに、その親子がさらに表通りへ乗出して、たとい小さい店ながら、荒物屋の商売をはじめるというのであるから、問題がいよいよ大きくなったのも無理はなかった。
 しかし一方からいえば、それはさのみ不思議なことでもないのであった。この七、八月ごろから二十五、六の若い男が時どきたずねて来て、なにかの世話をしているらしい。男の身許は判らないが、ともかくも小綺麗な服装《みなり》をしていて、月に二、三度は欠かさずにこの路地の奥に姿をみせている。そうして、おすま親子に対する彼の態度から推察すると、どうも昔の主従関係であるらしい。おそらく昔の家来すじの者が旧主人
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