平造とお鶴
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)覚《さと》られた。
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N君は語る。
明治四年の冬ごろから深川富岡門前の裏長屋にひとつの問題が起った。それは去年の春から長屋の一軒を借りて、ほとんど居喰い同様に暮らしていた親子の女が、表通りの小さい荒物屋の店をゆずり受けて、自分たちが商売をはじめることになったというのである。
母はおすまといって、四十歳前後である。娘はお鶴といって、十八、九である。その人柄や言葉づかいや、すべての事から想像して、かれらがここらの裏家に住むべく育てられた人たちでないことは誰にも覚《さと》られた。
「あれでも士族さんだよ。」と近所の者はささやいていた。
かれらは自分たちの素姓をつつんで洩らさなかったが、この時代にはこういう人びとの姿が到るところに見いだされて、零落した士族――それは誰の胸にも浮かぶことであった。女ふたりが幾ら約《つま》しく暮らしていても、居喰いでは長く続こう筈もない。今のうちに早く相当の婿でも取るか、娘の容貌《きりょう》のいいのを幸いに相当の旦那でも見つけるか、なんとかしたらよかろうにと、蔭で
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