い》の方々は何をしてござるのやら……。このごろの日和《ひより》くせで、又降って来たようじゃが……。
(雨すこしく降る。玉虫帰りきたる。)
玉虫 今戻りました。
おしお おお、お帰りなされましたか。あいにく降ってまいったので、さぞお困りでござりましょう。
玉虫 降りみ降らずみはこの頃の習い、さしたる雨でもござりませぬ。(ぬれたる被衣をぬぎて縁に上がる。)いつもいつも留守を頼み、ありがとうござりました。して、妹《いもと》はまだ戻りませぬか。
おしお まだお帰りにはなりませぬ。
玉虫 このごろは兎角にそわそわしておちつかず、内を外にして出あるいているは、どうしたことであろうかのう。
(眉をひそむれば、おしおは打笑う。)
おしお それも生業《なりわい》じゃ、是非もござりますまい。
玉虫 生業とは……。
おしお え。(口ごもる。)
玉虫 妹がどのような生業をして居りまするぞ。
おしお さあ、うっかりと口をすべらしたはわたくしのあやまり、どうぞ御勘弁くださりませ。
玉虫 いや、詫びることはない、あからさまに云うて下さればよいのじゃ。
(玉虫の妹玉琴、十七八歳、被衣をかぶりて下のかたより出で、門《かど》に立ちて内の問答をぬすみ聞く。玉虫はおしおの返答なきに、すこしく思案する。)
玉虫 おしおどの、包まずに云うてくだされ。平家ほろびし後は官女達もちりぢりばらばら、ここらあたりにさまようて、あるに甲斐なく世を送る。そのなかには恥を忍んで、のぼり下だりの旅人や、出船入船の商人《あきうど》を相手に、色をあきなうもあると聞く。妹ももしや其のような…。
おしお さあ。
玉虫 これ、しかと返事をして下されぬか。
(迫り問うに、おしおいよいよ迷惑す。玉琴は門をあけて走り入る。)
玉琴 姉《あね》さま……ゆるして下さりませ。
玉虫 むむ。さては推量にたがわず、姉に隠していつの間にか、遊女や白拍子のながれを汲み、色をあきなう身となったか。
玉琴 そのお叱りはとくより知っていれど、むかしに変る今の身の上、唯うかうかとしていては姉妹《きょうだい》ふたりが何となりましょうぞ。飢《かつ》えて死ぬる場になっては、恥も外聞も厭わばこそ、其日その日の糧《かて》がほしさに……。
おしお おお、それもごもっとも、みやこ育ちのおまえ様がたが、ここらの浜辺に流浪なされては、ほかに世渡りのすべもなし、御容貌《ごきりょう》のよいのを幸いに、ゆききの人になさけを売る。つらい勤めもお身のためじゃ。時の用には鼻もそぐと、下世話にいうは此事でござりましょう。
玉琴 姉さま、推量してくださりませ。
おしお かならずお叱りなされまするな。
(とりなし顔に云えど、玉虫は耳にもかけず。)
玉虫 これ、妹。もっともらしゅう云訳するが、かかる境涯におちぶれても、お前はまだまだ命が惜しいか。
玉琴 おなごの未練なこころからは、命が惜しゅうござりまする。
玉虫 恥をさらしても生きたいか。
玉琴 死ぬほどならばこの三月、平家滅亡の日に死にまする。
おしお ほんに左様でござります。平家滅亡のおりから、海に沈んだ官女達も多いとやら……。そのなかを無事にながらえたは、よくよく御運がよいのでござりましょうぞ。御運がよいと云えば……もし、玉琴さま。あのお方のことを申上げたら、姉上様の御機嫌がなおろうも知れますまい。
玉琴 いや、いや。それは……。
おしお はて、お隠しなさるには及びませぬ。(玉虫にむかいて。)人は七転《ななころ》び八起《やお》きとやら申しまして、悪いあとには又よいことが来るものでござります。まあ、お聞きなされませ。妹御《いもとご》さまは数ある客人のなかで、立派なおさむらい様と深いおなじみ……。やがては奥方に御出世なさろうも知れませぬ。そうなる時にはお前さまも、今の御苦労を打ち忘れて安楽な御身分にもなれましょうぞ。
玉虫 して、そのさむらいというは……。
おしお はい、あの……。
玉琴 あ、これ……。(云うなと制す。)
おしお 那須与五郎というお方……。
玉虫 那須与五郎……。(思案する。)平家の残党詮議のために、那須の一党は今なおここにとどまり、陣屋をかまえていると聞く。与五郎というも恐らくはその身内であろうな。
おしお なんでも大将の御舎弟じゃとかうけたまわりました。のう、玉琴さま……。
(玉琴答えず、恐るるごとくに差し俯向く。玉虫はいよいよ気色をかえる。)
玉虫 なに、大将の弟……与市の弟じゃと……。(つと起って妹の襟髪をとる。)人もあろうに、源氏方……しかも那須の一門に、狎《な》れ馴染んだる憎い奴……。一|刻《とき》もここには置かれぬ。さあ出てゆきゃ、出て行こうぞ。
玉琴 ええ。
おしお さりとはきつい御腹立ち……。まあ、まあ、お待ちなされませ。
玉虫 お前の知ったことではない。玉琴、再びそなたには逢わぬぞや。
(突き放して起たんとす。玉琴は姉の袂にすがる。)
玉琴 では、姉妹《きょうだい》の縁を切って……。
玉虫 姉妹はおろか、人間同士の縁も切った。おのれは畜生……。見るも汚れじゃ。
(袂を払って奥に入る。玉琴は泣き伏す。おしおは呆れる。)
おしお やれ、やれ、飛んでもないことになりましたのう。お詫びの種にもなろうかと、那須の殿様のことをうかうか申上げたら、却って御腹立ちは募るばかり。口はわざわいの門《かど》ということを今知って、悔んでもあとの祭じゃ。玉琴さま、料簡してくださりませ。
玉琴 いえ、いえ、詫びるには及びませぬ。遅かれ速かれ知ること……。その折にはどう云おう、こう云おうと、色々の云訳をかんがえて置きながら、いざというときには口へも出ず。たった一人の姉妹の勘当受けて、こりゃ何としたものであろうか。
(玉琴泣き入るを、おしおは慰める。)
おしお 一旦はあのように御立腹なされても、根が血をわけた御姉妹、自然とお心の解けるは知れたことでござります。とは云え、あのはげしいお顔色では、今が今、すぐにはお詫びもかないますまい。ともかくも今夜だけは、わたくしの宿までお越しなされませ。はて、泣いてござっては済まぬ。まあ、まあ、お立ちなされませ。
(なだめながら手を取れば、玉琴はしおしお起ち上がる。)
玉琴 とは云え、もう一度お詫びをして……。
おしお はて、今とやこうと申上げては、却って御機嫌にさからうようなもの。まあ、わたくしにまかせてお置きなされませ。
(玉琴の手をひきて門に出で、ふた足三足行きかかれば、向うより那須の家来弥藤二は松明《たいまつ》をふり照らしていず。双方ゆき逢う。)
弥藤二 おお、玉琴殿ではござらぬか。
おしお おまえは那須の御家来衆……。
弥藤二 玉琴どのをお迎いにまいった。
(今までしおれたる玉琴は、那須の迎いと聞きて俄かにいそいそする。)
玉琴 おお、弥藤二どの……。ようぞ迎いに来てくだされた。
弥藤二 与五郎どのもお待ち兼ねでござるぞ。早うまいられい。
玉琴 すぐにお供いたしましょう。
おしお 丁度よいところへお迎いじゃ。では、御陣屋へ行かしゃりますか。
玉琴 おしお殿、先へまいりまするぞ。
弥藤二 いざ、お越しなされい。
(弥藤二は先に立ち、玉琴附添いていそぎ行く。取り残されたるおしおはあとを見送る。)
おしお 玉琴どのも現金な……。那須のおむかいと聞いたらば、泣顔が急に笑顔となって、早々に出てゆかれた。あれでは姉様の勘当をうけるも無理はない。おお、鐘がきこえる。今が逢魔《おうま》が時というのじゃ。どれ、早う戻りましょう。
(おしおはつぶやきつつ去る。雨の音さびしく、奥より玉虫は以前とかわりし白の着附、緋の袴、小袿《こうちき》にて、檀扇《ひおうぎ》を持ちていず。遠寺の鐘の声きこゆ。玉虫は鐘の音を指折りかぞえて独り語。)
玉虫 今鳴る鐘は酉《とり》の刻……。平家の方々が見ゆるころじゃ。
(縁に出でてあたりを視る。垣のかげより大いなる平家蟹這いいず。)
玉虫 おお、新中納言殿……。こよいも時刻をたがえずに、ようぞまいられた。これへ……これへ……。(檜扇にてさしまねけば、蟹は縁の下へ這い寄る。)余の方々はなんとされた。つねよりも遅いことじゃ。
(上のかたの木かげよりも、おなじく平家蟹あらわる。)
玉虫 おお、能登どのか。今宵は知盛の卿に先を越されましたぞ。(打笑む。)
(左右よりつづいて二三匹、四五匹の蟹あらわれいず。)
玉虫 おお、教盛《のりもり》の卿、行盛の卿……。有盛、経盛、業盛《なりもり》の方々……。みな打揃うて見えられましたの。(縁に腰をかける。蟹はその足もとにむらがり寄る。)このごろの短か夜とは云いながら、あすの朝まではまだまだ長い。今宵はなにを語って明かしましょうぞ。(蟹にむかって問い、又うなずく。)毎夜毎夜の物語も、つまるところは平家の恨みじゃ。この恨みは一年二年、五年十年語りつづけても、容易に尽きることではあるまい。(蟹を見て、ひとりうなずく。)そうじゃ、そうじゃ。源氏が栄えてあるかぎりは、平家の恨みは消え失せまい。おお、それで思い出した。最前浜辺で宗清にゆき逢い、その物語によるときは、景清は姿をかえて鎌倉にくだり、家重代の痣丸に源氏の血を染めるとのことでござりまするぞ。ほほ、勇ましい覚悟ではござりませぬか。万一、景清が仕損じても、平家一門の呪詛《のろい》によって、源氏のゆくすえも大方は知れて居りまする。(云いかけて、又うなずく。)おお、云うまでもござらぬ。まず当のかたきの義経をほろぼして、次は範頼……次は頼朝……。おお、まだある。頼朝には頼家という小倅があるとやら……これも、助けては置かれぬ奴、勿論呪い殺しまする。その弟《おとと》も……又その子も……その孫も……。二代三代四代の末までも執念く祟って[#「祟って」は底本では「崇って」]、かりにも源氏の血をひくやからは、男も女も根絶しにして見せましょうぞ。
(云う声はしだいにうわ嗄《が》れて、鬢髪《びんぱつ》そよぎ、顔色すさまじ、下の方の木かげより以前の雨月忍び出で、息をのんで内の様子を窺う。玉虫はかくとも知らず、更に祭壇のかたを指さす。)
玉虫 あれ、見られい。唐《から》天竺日本にあらとあらゆる阿修羅の眷族《けんぞく》を、一つところに封じ籠めて、夜な夜なかたきを呪うて居りまするぞ。やがてその奇特《きどく》を……。
(この時、俄かに風ふき来たりて、燈台の火ふっと消ゆ。闇のなかにて玉虫の声。)
玉虫 おお、源氏の運も風の前のともしびじゃ。忽ちこのように消ゆるであろうぞ。ほほほほ。
(向うより那須与五郎宗春、二十歳、烏帽子、直垂《ひたたれ》にて蓑をつけ、松明《たいまつ》を持ち、あとより玉琴も蓑をつけ、附添うていず。この火のひかりを望みて、玉虫は起って奥に入り、雨月も木かげに身をひそむ。平家蟹もすべて消ゆ。与五郎等は門《かど》に来たりて、内をうかがう。)
与五郎 はて、不思議や。家の内は真の闇じゃ。
玉琴 姉様はどこへお出でなされたか。まずともかくもお通りなされませ。
与五郎 むむ。
(両人は内に入りて、あたりを照し視る。)
与五郎 おお、燈台はあれにある。燈火《あかし》をつけられい。
玉琴 心得ました。
(両人は蓑をぬぎ、玉琴は縁にあがりて、松明の火を燈台に移す。与五郎はその松明を打消して、おなじく縁にあがり、両人座を占める。)
与五郎 姉御はいずかたへ参られたであろうな。
玉琴 さあ、近所へ物買いにゆかれたか。但しは奥に……。(起って奥をうかがう。)奥も暗がりでよくは見えぬ。もし、姉様……姉上様……。
玉虫 そういうは誰じゃ。わらわはこれに居りまする。
(玉虫は小袿をぬぎ、白小袖、緋の袴にて、奥よりいず。)
玉琴 おお、姉様……。それにおいでなされましたか。
玉虫 又しても姉という。そなたとは、すでに縁切っているのじゃ。
(云いつつ悠然と座に直る。与五郎は一と膝すすめて会釈す。)
与五郎 姉上には初めて御意得申す。それがしは下野《しもつけ》の国の住人、那須与市宗隆の弟《おとと》、同苗与五郎宗春。
玉虫 その与五郎どのが何用あってここへはまいられた。
与五郎 妹御を所望にまいった。仔細はおおかた御存じ
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