(玉虫は足拍子を強くふみて、両人に向ってじりじりと詰めよる。与五郎と玉琴は毒酒にあたりし体《てい》にて、身神俄かに悩乱す。)
唄※[#歌記号、1−3−28]口にはほのおの息をふき、手にはくろがねの矛《ほこ》をふるい、恨み重なるかたきの奴原、一人も余さず地獄へ堕《おと》せと、熱湯の池、つるぎの山、追い立て追い立て急ぎゆく。凄まじかりける次第なり。
(玉虫は舞いながら、檜扇をあげて与五郎を丁々と打つ。玉琴は這い寄って支えんとするを、玉虫はおなじく打つ。与五郎は太刀を抜きてよろめきながら斬ってかからんとすれども、身は自由ならず、いくたびか倒れて遂に縁よりまろび落つ。玉琴はこれを救わんとして、おなじく庭にまろび落つ。玉虫は舞いおわりて、こころよげにみおろしつ。)
玉虫 与五郎、玉琴、苦しいか。
与五郎 今かの酒を飲むとひとしく、俄かに身神悩乱して……ふたりが二人ながら苦痛に堪えぬは……。
玉琴 女夫《めおと》が祝言のさかずきは……命をちぢむる毒酒なりしか。
玉虫 ひとに洩れては願望《がんもう》のさまたげと、現在の妹にも秘し隠したれば、おなじ家のうちに住みながら、玉琴もまだ知るまい。西海に沈みたる平家のうらみを報いんために、神壇を築いてひそかに源氏を呪い、神酒を供えてもろもろの悪鬼羅刹を祭る。そち達ふたりが飲んだる酒は、即ちそれじゃ。
玉琴 して、その神酒が毒酒とは……。
玉虫 平家蟹の甲を裂いて、その肉を酒にひたし、神への贄《にえ》にささげしものぞ。
玉琴 ええ。
玉虫 男はもとより源氏方、女は肉身の姉を見すてて、かたきに心を通わす奴、呪いの奇特《きどく》をためすには屈竟と、最前神酒をとりし時、わが呪いの首尾よく成就するならば、この酒変じて毒となり、まのあたりに二人の命を奪えと、ひそかに念じてすすめたるに、酒は果して毒となった。はははははは。
与五郎 源氏|調伏《ちょうぶく》の奇特をためさん為に、われわれに毒酒を盛りしか……。女の愛に心ひかされ、油断せしが一生の不覚……。さるにても、源氏に仇なす奴……。おのれ、そのままには……。
(刀を杖に起たんとして又倒る。)
玉虫 はて、騒ぐまい。お身にはまだ云い聞かすことがある。過ぎし屋島のたたかいに、風流を好む平家の殿ばらは、船に扇のまとを立てさせ、官女あまたある中にも、この玉虫が選みいだされ、船端《ふなばた》に立って檜扇をかざし、敵をまねいて射よという。やがて源氏の武者一騎、萌葱《もえぎ》おどしの鎧きて、金覆輪《きんぷくりん》の鞍置いたる黒駒にまたがり、浪打ちぎわより乗入ったり。
与五郎 おお、それぞわが兄……那須与市宗隆《なすのよいちむねたか》……。
玉虫 おお、那須与市ということは後にて知った。兎にも角にもおぼえある武士ならん、いかに射るぞと見てあれば、かれは鏑矢《かぶらや》を取ってつがえ、よっ引いて飄《ひょう》と放つ。さすがに狙いはあやまたず、扇のかなめを射切ったれば、扇は空にまいあがり、風にもまれて海に落つ。(無念の声をふるわせる。)これぞ敗けいくさの前兆と、味方は愁《うれ》い……敵は勇む。わらわも無念に堪えかねて、扇と共に沈まんかと一旦は覚悟したれど、おもい直してきょうまでもおめおめとながらえしぞ。その与市の弟と名乗る奴、測《はか》らずここへ来たりしからは、いかで無事に帰そうか。
与五郎 さては扇のまとのうらみによって……。
玉虫 おのれはかたきの末じゃ。兄の与市めも遅かれ速かれ、共に地獄へ送ってやろうぞ。
(いよいよ心地よげに笑う。与五郎は無念の歯をかめども、苦痛はしだいにはげしく、ただ苦しき息をつくのみ。玉琴は這い寄る。)
玉琴 与五郎どの……。おん身をここへ誘うて来ずば、こうしたことにもなるまいものを……。
与五郎 おお、この上は是非も無し、かれは生きて源氏を呪わんと云う……われは死して彼を呪わん。玉虫……。おのれもやがて思い知ろうぞ。
玉虫 人に執念のないものは無い。われもひとを恨めば、ひとも我を恨もう。つまりは五分五分じゃ。恨まば恨め、七生の末までも恨むがよい。
与五郎 おのれ……。
(起たんとしてよろめくを、玉琴は支えんとしてすがりつく。)
与五郎 最早これまで……。玉琴……。
玉琴 与五郎どの……。
(与五郎は刀をとりなおして玉琴の胸を刺し、返す刀にてわが腹に突き立て、引きまわして倒る。下のかたの木かげより雨月再びうかがい出で、垣の外にひざまずきて合掌す。玉虫は見咎める。)
玉虫 そこにいるは誰じゃ。
雨月 (しずかに。)わたくしでござりまする。
玉虫 むむ、宗清か。遠慮はない、これへ来や。
雨月 いや、まいりますまい。わたくしは御仏《みほとけ》に仕えまする者。仏道と魔道とは相さること億万里、お前様のそばへは参られませぬ。
玉虫 それ程わらわがおそろしいか。
雨月
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