よいのを幸いに、ゆききの人になさけを売る。つらい勤めもお身のためじゃ。時の用には鼻もそぐと、下世話にいうは此事でござりましょう。
玉琴 姉さま、推量してくださりませ。
おしお かならずお叱りなされまするな。
(とりなし顔に云えど、玉虫は耳にもかけず。)
玉虫 これ、妹。もっともらしゅう云訳するが、かかる境涯におちぶれても、お前はまだまだ命が惜しいか。
玉琴 おなごの未練なこころからは、命が惜しゅうござりまする。
玉虫 恥をさらしても生きたいか。
玉琴 死ぬほどならばこの三月、平家滅亡の日に死にまする。
おしお ほんに左様でござります。平家滅亡のおりから、海に沈んだ官女達も多いとやら……。そのなかを無事にながらえたは、よくよく御運がよいのでござりましょうぞ。御運がよいと云えば……もし、玉琴さま。あのお方のことを申上げたら、姉上様の御機嫌がなおろうも知れますまい。
玉琴 いや、いや。それは……。
おしお はて、お隠しなさるには及びませぬ。(玉虫にむかいて。)人は七転《ななころ》び八起《やお》きとやら申しまして、悪いあとには又よいことが来るものでござります。まあ、お聞きなされませ。妹御《いもとご》さまは数ある客人のなかで、立派なおさむらい様と深いおなじみ……。やがては奥方に御出世なさろうも知れませぬ。そうなる時にはお前さまも、今の御苦労を打ち忘れて安楽な御身分にもなれましょうぞ。
玉虫 して、そのさむらいというは……。
おしお はい、あの……。
玉琴 あ、これ……。(云うなと制す。)
おしお 那須与五郎というお方……。
玉虫 那須与五郎……。(思案する。)平家の残党詮議のために、那須の一党は今なおここにとどまり、陣屋をかまえていると聞く。与五郎というも恐らくはその身内であろうな。
おしお なんでも大将の御舎弟じゃとかうけたまわりました。のう、玉琴さま……。
(玉琴答えず、恐るるごとくに差し俯向く。玉虫はいよいよ気色をかえる。)
玉虫 なに、大将の弟……与市の弟じゃと……。(つと起って妹の襟髪をとる。)人もあろうに、源氏方……しかも那須の一門に、狎《な》れ馴染んだる憎い奴……。一|刻《とき》もここには置かれぬ。さあ出てゆきゃ、出て行こうぞ。
玉琴 ええ。
おしお さりとはきつい御腹立ち……。まあ、まあ、お待ちなされませ。
玉虫 お前の知ったことではない。玉琴、再びそなたには逢わぬぞや。
(突き放して起たんとす。玉琴は姉の袂にすがる。)
玉琴 では、姉妹《きょうだい》の縁を切って……。
玉虫 姉妹はおろか、人間同士の縁も切った。おのれは畜生……。見るも汚れじゃ。
(袂を払って奥に入る。玉琴は泣き伏す。おしおは呆れる。)
おしお やれ、やれ、飛んでもないことになりましたのう。お詫びの種にもなろうかと、那須の殿様のことをうかうか申上げたら、却って御腹立ちは募るばかり。口はわざわいの門《かど》ということを今知って、悔んでもあとの祭じゃ。玉琴さま、料簡してくださりませ。
玉琴 いえ、いえ、詫びるには及びませぬ。遅かれ速かれ知ること……。その折にはどう云おう、こう云おうと、色々の云訳をかんがえて置きながら、いざというときには口へも出ず。たった一人の姉妹の勘当受けて、こりゃ何としたものであろうか。
(玉琴泣き入るを、おしおは慰める。)
おしお 一旦はあのように御立腹なされても、根が血をわけた御姉妹、自然とお心の解けるは知れたことでござります。とは云え、あのはげしいお顔色では、今が今、すぐにはお詫びもかないますまい。ともかくも今夜だけは、わたくしの宿までお越しなされませ。はて、泣いてござっては済まぬ。まあ、まあ、お立ちなされませ。
(なだめながら手を取れば、玉琴はしおしお起ち上がる。)
玉琴 とは云え、もう一度お詫びをして……。
おしお はて、今とやこうと申上げては、却って御機嫌にさからうようなもの。まあ、わたくしにまかせてお置きなされませ。
(玉琴の手をひきて門に出で、ふた足三足行きかかれば、向うより那須の家来弥藤二は松明《たいまつ》をふり照らしていず。双方ゆき逢う。)
弥藤二 おお、玉琴殿ではござらぬか。
おしお おまえは那須の御家来衆……。
弥藤二 玉琴どのをお迎いにまいった。
(今までしおれたる玉琴は、那須の迎いと聞きて俄かにいそいそする。)
玉琴 おお、弥藤二どの……。ようぞ迎いに来てくだされた。
弥藤二 与五郎どのもお待ち兼ねでござるぞ。早うまいられい。
玉琴 すぐにお供いたしましょう。
おしお 丁度よいところへお迎いじゃ。では、御陣屋へ行かしゃりますか。
玉琴 おしお殿、先へまいりまするぞ。
弥藤二 いざ、お越しなされい。
(弥藤二は先に立ち、玉琴附添いていそぎ行く。取り残されたるおしおはあとを見送る。)
おしお 玉琴どのも現金な……。
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