いので、七月からは湯殿で行水を使うことにした。大盥《おおたらい》に湯をなみなみと湛えさせて、遠慮なしにざぶざぶ[#「ざぶざぶ」に傍点]浴びてみたが、どうも思うように行かない。行水――これも一種の俳味を帯びているものには相違ないので、わたしは行水に因《ちな》んだ古人の俳句をそれからそれへと繰出して、努めて俳味をよび起そうとした。わたしの家の畑には唐もろこしもある、小さい夕顔棚もある、虫の声もきこえる。月並ながらも行水というものに相当した季題の道具立は先ず一通り揃っているのであるが、どうも一向に俳味も俳趣も浮び出さない。
 行水をつかって、唐もろこしの青い葉が夕風にほの白くみだれているのを見て、わたしは日露戦争の当時、満洲で野天風呂を浴びたことを思い出した。海城・遼陽その他の城内には支那人の湯屋があるが、城から遠い村落に湯屋というものはない。幸に大抵の民家には大きい甕《かめ》が一つ二つは据えてあるので、その甕を畑のなかへ持ち出して、高粱《こうりょう》を焚いて湯を沸かした。満洲の空は高い、月は鏡のように澄んでいる。畑には西瓜《すいか》や唐茄子《とうなす》が蔓《つる》を這《は》わせて転がってい
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