たが、わたしはやはり毎日かかさずに入浴した。ここでは越の湯と日の出湯というのに通って、十二月二十二、二十三の両日は日の出湯で柚湯《ゆずゆ》に這入《はい》った。わたしは二十何年ぶりで、ほかの土地のゆず湯を浴びたのである。柚湯、菖蒲湯《しょうぶゆ》、なんとなく江戸らしいような気分を誘い出すもので、わたしは「本日ゆず湯」のビラをなつかしく眺めながら、湯屋の新しい硝子戸《ガラスど》をくぐった。
[#天から3字下げ]宿無しも今日はゆず湯の男哉
 二十二日は寒い雨が降った。二十三日は日曜日で晴れていた。どの日もわたしは早く行ったので、風呂のなかはさのみに混雑していなかったが、ゆず湯というのは名ばかりで、湯に浮んでいる柚の数のあまりに少いのにやや失望させられた。それでも新しい湯にほんのりと匂う柚の香は、このごろとかくに尖り勝《がち》なわたしの神経を不思議に和《やわら》げて、震災以来初めてほんとうに入浴したような、安らかな爽かな気分になった。
 麻布で今年の正月をむかえたわたしは、その十五日に再びかなりの強震に逢った。去年の大震で傷んでいる家屋が更に破損して、長く住むには堪えられなくなった。家主も建直
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