なった。震災後どこの湯屋も一週間|乃至《ないし》十日間休業したが、各組合で申合せでもしたのか知れない、再び開業するときには大抵その初日と二日目とを無料入浴デーにしたのが多い。わたしも雑司ヶ谷の御園湯という湯屋でその二日間無料の恩恵を蒙《こうむ》った。恩恵に浴すとはまったくこの事であろう。それから十月の初めまで私は毎日この湯に通っていた。九月二十五日は旧暦の十五夜で、わたしはこの湯屋の前で薄《すすき》を持っている若い婦人に出逢った。その婦人もこの近所に避難している人であることを予《かね》て知っているので、薄ら寒い秋風に靡《なび》いているその薄の葉摺れが、わたしの暗いこころを一《ひ》としお寂しくさせたことを記憶している。
 わたしはそれから河野義博君の世話で麻布の十番に近いところに貸家を見つけて、どうにか先《ま》ず新世帯を持つことになった。十番は平生でも繁昌している土地であるが、震災後の繁昌と混雑はまた一層甚だしいものであった。ここらにも避難者が沢山あつまっているので、どこの湯屋も少しおくれて行くと、芋を洗うような雑沓《ざっとう》で、入浴する方がかえって不潔ではないかと思われるくらいであっ
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