のは事実である。猪上が額を破られたのも事実である。それがどういうわけであるかは判らなかった。
 聞くところによると、石の落ちるのはその後ひと月あまりも続いたが、七月の末頃から忘れたように止んでしまったということであった。

 これは怪談というべきものでは無いかも知れない。
 文久元年のことである。わたしの父は富津《ふっつ》の台場の固めを申し付けられて出張した。末の弟、すなわち私の叔父も十九歳で一緒に行った。そのころ富津付近は竹藪や田畑ばかりであったが、それでも木更津街道にむかったところには農家や商家が断続につらなっていた。殊に台場が出来てから、そのあたりもだんだんに開けてきて、いつの間にか小料理屋なども出来た。
 九月はじめの午後に、父と叔父は吉田という同役の若侍と連れ立って、ある小料理屋へ行った。父は下戸であるが叔父と吉田は少し飲むので、しばらくそこで飲んで食って、夕七つ(午後四時)を過ぎた頃に帰った。その帰り路のことである。長い田圃路にさしかかると、叔父はとかくによろよろして、ややもすると田の中へ踏み込もうとする。おそらく酔っているのであろうと父は思った。ええ、意気地のない奴だ、し
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