後、さらに若い情婦を手に入れようと試みた。おらちも従弟同士の若い男を憎いとは思わなかったが、養い親と彼との関係を薄うす覚っていたので、素直にそれに靡《なび》こうともしなかった。その煮え切らない態度に鉄作は焦れ込んで、今夜もおらちをそっと呼び出して、納屋のかげで手詰めの談判を開いているところを、あたかも祖母のおもよに発見されたのであった。この場合、見付けられてはもちろん面倒であるので、彼はおもよの呼ぶ声をあとに聞き流して表へ逃げ出すと、四、五間さきで再び海馬に出逢ったのである。かれはお福の死について一|場《じょう》の嘘を作った。そうして、自分がその嘘の通りに死んだ。
茂左衛門もその懺悔《ざんげ》を聴いた一人であった。彼はその「馬妖記」の一挿話として、「本文には要なきことながら」と註を入れながら、鉄作の一条を比較的に詳しく書き留めてあるのをみると、その当時の武士もこの事件について相当の興味を感じたものと察せられる。
その夜の探検は不成功に終って、雨のまだ晴れやらない早朝に、七人の侍はむなしく城に引揚げた。そのなかで、ともかくも怪しい獣の毛をつかんでいる茂左衛門が第一の功名者であることは
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