たびか聞えたので、甚七は市五郎にささやいた。
「水から出て来るのではない。水にはいるのだ。」
「どうも魚《さかな》を捕るらしいぞ。」
「馬が魚を食うかな。」
「それが少しおかしい。」
なおも油断なく窺っていると、黒い影は水から出て来て、暗い空にむかって高くいなないた。それを合図のように二人はつかつかと進み寄って、袖の下に隠していた火縄《ひなわ》を振り照らすと、その小さい火に対して相手は余りに大き過ぎるらしく、ただ真っ黒な物が眼のさきに突っ立っているだけで、その正体はよく判らなかった。それと同時に、その黒い影は蛍《ほたる》よりも淡い火のひかりを避けるように、体をひるがえして立去ろうとするのを、二人はつづいて追おうとすると、目先の方に気を取られて火縄をふる手が自然おろそかになったらしい。あたかも強く吹いて来る川風のために二つの火縄は消されてしまった。はっと思う間もなしに、市五郎は殴《はた》かれたか蹴られたか、声を立てずにその場に倒れた。
甚七はあわてて刀をぬいて、相手を斬るともなく、自分を防ぐともなく、半分は夢中で振廻すと、黒い影は彼をそのままにして静かに闇の奥に隠れて行った。甚七はま
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