じゃあ井戸の水を汲んで来てくれ」
「水を飲ませたぐらいで、生き返るでしょうか」
「なんでもいいから、早く水を汲んで来い」と、長三郎は叱り付けるように叫んだ。
 藤助は無言で寺の門内にはいった。提灯は彼と共に去ってしまったので、門前はもとの闇にかえった。その暗いなかで、長三郎は黒沼の小父さんの死骸をかかえながら、半分は夢のような心持で、氷った土の上に小膝をついていた。
 その夢のような心持のなかでも、彼はかんがえた。小父さんが急病で仆《たお》れたので無いことは、刀の柄《つか》に手をかけているのを見ても判っている。小父さんは何物にか出会って、刀をぬく間もなしに仆《たお》れたのであろう。長三郎はかの白い蝶を思い出した。自分はたった今、こちらで怪しい蝶の影をみたのである。小父さんはかの蝶のために仆《たお》されたのではあるまいか。長三郎は一種の恐怖を感ずると共に、又一方にはおさえがたい憤怒《ふんぬ》が胸をついた。
「畜生、おぼえていろ」
 彼は肚《はら》のなかで叫びながらあたりの闇を睨んでいるとき、藤助の提灯の火が鬼火《おにび》のように又あらわれた。彼は片手に小さい手桶をさげている。
 血のめぐ 
前へ 
次へ 
全165ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング