りが悪いのか、あるいは意地が悪いのか、こういう場合にも彼はさのみに慌てている様子もみせず、いつもの足取りで徐《しず》かに歩いて来るらしいのが、又もや長三郎を焦燥《いらだ》たせた。
「おい。早く……早く……」
 呶鳴り付けられても、彼はやはり騒ぎもせず、無言で門へ出て来ると、長三郎は引ったくるようにその手桶を受け取った。手桶に柄杓《ひしゃく》が添えてあるので、長三郎はその柄杓に水を汲んで、伝兵衛の口にそそぎ入れた。
「小父さん……小父さん……。しっかりして下さい」
 伝兵衛は答えなかった。柄杓の水も喉へは通らないらしかった。それが当然であると思っているかのように、藤助は黙って眺めていた。
「仕方がない。寺へ連れ込んで、医者を呼ぼう」と、長三郎は柄杓を投げ捨てながら云った。
 藤助はやはり無言で立っていた。どこかで梟《ふくろう》の声がきこえた。

     四

 黒沼伝兵衛の死骸は寺内へ運び込まれた。とかくに落ち着き顔をしている火の番の藤助を追い立てるように指図《さしず》して、長三郎は近所の医者を迎えにやった。近所といっても四、五丁|距《はな》れているので、藤助は直ぐに帰って来ない。その
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