ていると、二人のうしろから草履の音がきこえて、五十ばかりの男が提灯をさげて来た。彼は通り過ぎようとして見返った。
「御組屋敷のお嬢さん達じゃあございませんか」
 声をかけられて、二人も見かえると、男は音羽の市川屋という水引屋《みずひきや》の職人であった。ここらは江戸城に勤めている音羽という奥女中の拝領地で、音羽の地名はそれから起こったのであると云う。その関係から昔は江戸城の大奥で用いる紙や元結《もっとい》や水引のたぐいは、この音羽の町でもっぱら作られたと云い伝えられ、明治以後までここらには紙屋や水引屋が多かった。この男もその水引屋の職人で、源蔵という男である。多年近所に住んでいるので、お北もお勝も子供のときから彼を識っていた。
「今時分どこからお帰りです」と、源蔵はかさねて訊《き》いた。
「鈴木さんへ歌留多《かるた》を取りに行って……」と、お北は答えた。
「ああ、そうでしたか」と、源蔵はうなずいた。「そうして、ここで何か御覧になったんですか」
「白い蝶々が飛んでいるので……」
「白い蝶々……。ご覧になりましたか」
「こんな寒い晩にどうして蝶々が飛んでいるのでしょう」と、お勝が訊いた。

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