連れ込むと、さっき余分の祝儀をやった効目《ききめ》があらわれて、女中はしきりに世辞を云いながら二人を二階へ案内した。
「おめえは三河町の吉五郎だろう。なんで俺をこんな所へ連れて来たんだ」と、中間の鉄造はおちつかないような顔をして云った。
「まあ、待ちねえ。だんだんに話をする」
酒と肴を注文して、女中を遠ざけた後に、吉五郎は打ちくつろいで話し出した。
「このあいだ中《ちゅう》から内の留がいろいろおめえの御厄介になっているそうだが……」
「なに、別にどうと云うこともねえんだが……」と、鉄造はまだ油断しないように眼をひからせていた。
「川へ揚がった死骸は、御賄屋敷の瓜生さんの娘だろうね」
「むむ」
「どうして死んだんだね」
「おらあ知らねえ」
「知らねえかえ」と、吉五郎は考えていた。「それはまあ知らねえとして、ゆうべの夜なかにおめえは何処へ行ったえ」
鉄造は黙っていた。
「あの風の吹く夜なかに、犬に吠えられながら二人連れで何処へ行ったんだよ」と、吉五郎はかさねて訊いた。
「おらあそんな覚えはねえ」と、鉄造は声を尖《とが》らせた。
「それじゃあ人違いかな。お近さんの死骸を運んで行ったのは、おめえ達じゃあなかったかな」
相手の顔色の変ったのを見て、吉五郎は畳みかけて云った。
「おめえ達はふだんからお近さんの世話になって、相当に小遣いも貰っていたんじゃあねえか。よんどころなく頼まれたとは云いながら、その死骸を捨てる役を引き受けちゃあ、あんまり後生《ごしょう》がよくあるめえぜ」
「なんと云われても、そんな覚えはねえよ」と、鉄造は再び声を尖らせた。
「そう喧嘩腰になっちゃあいけねえ。おたがいに仲よく一杯飲みながら話そうと思っているんだ」
あたかも女中が膳を運んで来たので、話はしばらく途切れた。女中に酌をさせて一杯ずつ飲んだ後に、ふたりは再び差しむかいになった。
「目白坂下の寺は、おめえの屋敷の菩提所《ぼだいしょ》かえ」と、吉五郎は猪口《ちょこ》を差しながら訊いた。
「そうじゃあねえ」
「それじゃあ、お近さんの識っている寺かえ」
「おらあ知らねえ」
「何を云っても知らねえ知らねえじゃあ、あんまり愛嬌が無さ過ぎるな」と、吉五郎は笑った。「もう少し色気のある返事をして貰おうじゃあねえか」
「色気があっても無くっても、知らねえことは知らねえと云うよりほかはねえ。木刀をさしていても、おれも屋敷の飯を食っている人間だ。むやみにおめえ達の調べは受けねえ」
素直にここまで出て来ながら、今さら喧嘩腰になって気の強いことを云うのは、俄かに一種の恐怖を感じて来たに相違ない。それがうしろ暗い証拠であると、吉五郎は多年の経験で早くも覚《さと》った。
「まったくおめえの云う通りだ。屋敷奉公のおめえ達をこんな所へ連れ込んで、むやみに調べるという訳じゃあねえ」と、吉五郎は諭《さと》すように云った。「留吉はおれの子分だ。おめえもその留吉と心安くしている以上、おれともまんざらの他人という筋でもねえ。それだから、ここまで来て貰って、おめえの知っているだけのことを……」
「その留吉だって昨日《きのう》きょうの顔なじみだ。別に心安いという仲じゃあねえ」
「どこまで行っても喧嘩腰だな」と、吉五郎はまた笑った。「それじゃあもうなんにも訊くめえが、おれの方じゃあおめえを他人と思わねえから、唯ひと言云って置くことがある。おめえ、あの屋敷に長くいるのは為にならねえぜ」
「なぜだ」
「白魚河岸の吉田幸之助というのは、おめえの主人とは縁つづきで、ふだんから出入りをしているうちに、お近さんと仲好くなった。それが又、不思議な廻《めぐ》り合わせで、近所の御賄屋敷へ養子に来るようになった。女房になる筈のお勝という娘は病気で、直ぐには婚礼も出来ねえそのうちに、隣りの娘と出来合ってしまった。それがお近さんに知れたので、やきもち喧嘩で大騒ぎだ。まあ、それまではいいとしても、それが為に幸之助は身を隠す、お勝という娘は自害する、お北という娘は身を投げる、お近さんは殺される。これほどの騒動が出来《しゅったい》しちゃあ、唯済むわけのものじゃあねえ。積もってみても知れたことだ。お気の毒だが、おめえの主人も係り合いで、なにかの迷惑は逃《の》がれめえと思う。そんな屋敷に長居をすりゃあ、おめえ達もどんな巻き添えを喰わねえとも限らねえ。まあそうじゃあねえか」
鉄造は息を呑むように黙っていた。
「そればかりじゃあねえ。このごろ世間を騒がしている、白い蝶々の種もすっかり挙がっているんだ。火の番の娘のお冬という奴が、菅糸を付けて飛ばしているに相違ねえ」
「おめえはどうしてそんなことを云うんだ」と、鉄造はあわてたように訊き返した。
「そのくらいの事を知らねえようじゃあ、上《かみ》の御用は勤まらねえ」と、吉五郎はあざ笑った。「
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