な手妻《てづま》だろうと思っていた。ところが案の通り、ゆうべの蝶々には菅糸が付いていた。おめえも寺の庭で菅糸を拾った。万事が符合する以上は、もう間違いはあるめえ。蝶々の正体は大抵判ったと云うものだ」
「そうです、そうです」と、留吉は又うなずいた。「成程、親分の云う通り、お化けと烏凧で、手妻の種はすっかり判った。ところで、それを使う奴は……」
「お冬という奴だろう」
「なぜそんな事をするんでしょう。唯の悪戯《いたずら》でもあるめえが……」
「唯のいたずらじゃあねえに決まっている。それにはお冬を使って、何かの仕事を目論《もくろ》んでいる奴があるに相違ねえ。誰かがお冬の糸を引いて、お冬がまた蝶々の糸をひくと云うわけだから、順々に手繰《たぐ》って行かなけりゃあ本家本元は判らねえ。それにしても、ここまで漕ぎ付けりゃあ大抵の山は見えているよ」と、吉五郎は笑っていた。
「そうすると、お冬はゆうべ又あの寺へ舞い戻って来たんでしょうか」と、留吉はまた訊いた。
「そうのようにも思われる。そうでねえようにも思われる。おれもそれを考えているんだが……」
「でも、その菅糸が落ちていたんですよ」
「この一件はお冬ばかりじゃあねえ。大勢の奴らが係り合っているらしいから、糸屑だけでお冬とも一途《いちず》に決められねえ」と、吉五郎はまだ考えていた。「だが、まあ、今の話はこれだけにしよう。来たついでと云っちゃあ済まねえが、不動さまにお詣りをして別れようぜ」
 二人は本堂の方へ足を向けた。

     一二

 親分と子分は不動堂の門前で別れて、留吉を乗せた駕籠は神田へ帰った。吉五郎は頬かむりをして音羽の大通りへ出ると、水引屋の市川屋の店さきに、子分の兼松が人待ち顔に腰をかけていた。彼は親分のすがたを見つけて、小走りに寄って来た。
「もし、面白いことがありそうですよ」
「むむ、どんなことだ」
 兼松は振り返って小手招ぎをすると、店から職人の源蔵が出て来た。吉五郎に引き合わされて、彼は丁寧に会釈《えしゃく》した。
「わたくしは市川屋の職人で源蔵と申します。なにぶんお見識り置きを……」
「わたしも今後よろしく願います。そこで、兼。この源蔵さんという人に何か手伝って貰うことでもあるのかえ」と、吉五郎は訊いた。
「実はね」と、兼松は声をひくめた。「この源蔵がゆうべ変なことを見たと云うんです」
「なにを見たね」
 吉五郎は職人の方へ向き直ると、源蔵も小声で話し出した。
「実は昨晩、高田の四家町《よつやまち》まで参りまして、その帰り途に目白坂の下まで参りますと、寺の生垣《いけがき》の前に男と女が立ち話をして居りましたが、わたくしの提灯の火を見ると、二人ともに慌てて寺のなかへ隠れてしまいました。夜目遠目《よめとおめ》で確かなことは申されませんが、男は火の番の藤助で、女はむすめのお冬のように思われたのでございます。お冬はともあれ、このあいだから行くえ知れずになっている藤助がこの辺にうろ付いていて、往来なかで娘と立ち話をしているのは何だか変だと思いましたが、その時はそれぎりにして帰ってまいりました。そこで、念のために今朝ほどお冬の家《うち》へ行ってみますと、お冬は留守でございました。もちろん、藤助のすがたも見えず、家はがら明きになって居りました」
「それは宵のことかえ」
「左様でございます。まだ五ツ(午後八時)にはならない頃でございました」
「それから、もう一つのことも話してしまいねえ」と、兼松は催促した。
「へえ」と、源蔵はやや当惑らしい顔色をみせたが、やがて思い切って又云い出した。
「わたくしももう五十で、年のせいでございましょうか、若い人たちのようにはどうも眠られません。昨晩も風の音が耳につきましておちおちと眠られずに居りますと、なんでも夜なかの事でございました。表で頻りに犬の吠える声がきこえるのでございます」
「むむ」と、吉五郎もそのあとを催促するように相手の顔をみつめた。
「夜なかに犬の吠えるのは珍らしくもございませんが、あんまり烈しく啼《な》きますので、わたくしも何だか気味が悪くなりまして、そっと起きて店へ出まして、雨戸の節穴から覗いてみますと、表は真っ暗でなんにも見えませんでしたが、犬の吠えているのは隣りの店のまえで、その犬の声にまじって人の声が聞こえるのでございます。低い声ですからよく判りませんが、ふたりで話しているらしいので……」
「男の声かえ、女の声かえ」
「どっちも男の声のようで……」
「その男が何を話していたえ」
「それがはっきりと判りませんでしたが……。ひとりがなぜ寺へ埋《う》めないのだと云っていたようでございました」
「その声に聞き覚えはなかったかね」
「何分はっきりとは聞き取れませんので……」
「それから其の二人はどうしたね」
「やがて何処へか行ってし
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