が降るのに人立ちがしているから、なんだろうと思って覗いてみると、隣り町《ちょう》のしん吉のおっかさんが自身番へ駈け込んで、おいおい泣いているのよ」
しん吉というのは落語家《はなしか》しん生の弟子で、となり町の裏に住んでいる。年は二十四、五で、男前は悪くないが芸が未熟であるために、江戸のまん中の良い席へは顔を出されず、場末や近在廻りなどをして、母のおさが[#「おさが」に傍点]と二人で暮らしている。それでも芸人の端《はし》くれであり、且は近所でもあるので、半七はしん吉親子の顔を識っていた。
「しん吉のおふくろは何を泣いているのだ」
「それがね。なんだか取り留めのない話のようだけれども、おっかさんは一生懸命に泣いて騒いでいる。と云うのは、しん吉は先月から甲州街道の方角へ稼ぎに行って[#「行って」は底本では「云って」]、月ずえには江戸へ帰る筈のところが、今月になっても便りがない。おっかさんも毎日心配していると、おとといの晩、おっかさんが変な夢を見たんだとさ」
「どんな夢を見た……」
「おっかさんが火鉢のまえに坐っていると、しん吉が外からぼんやりはいって来て、だまって手をついている。おや、お帰
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