思議に思われない事もありません」
「そうすると、しん吉のおっかさんが夢を見た……しん吉が血だらけの顔をしていた夢を見たと云うのは、なんでもない事だったんですね」
「さあ、それに就いて少し不思議なことが無いでもありません」と、老人は考えながら云った。「今も申す通り、しん吉は死ぬどころか、平気で酒を飲んで浮かれていたのですが、お八重の顔が疵だらけになっていました。どこから身を投げたのか知りませんが、その後の雨に水瀬が早くなって、お八重の死骸が流されて来る途中、川の砂利にでも擦られたのでしょう。顔一面が疵だらけで、丁度しん吉のおふくろが夢に見たような姿でした。してみると、おふくろの夢もまんざら取り留めのない事でも無いようで、お八重の魂がしん吉の姿を仮りて現われたのかも知れません。それとも偶然の暗合とでも云うのでしょうか。そういうことは学者先生に伺わなければ判りません。もう一つの不思議は、例の友蔵が売り物にしていた荒鵜がその晩から見えなくなってしまいました。しかしこれは不思議がるほどの事でもなく、どさくさ紛れに綱を切って、もとの明神の森へ飛んで行ったのかも知れません」
「関係者一同はどんな処分をうけました」
「今日の刑法では、誰も重い罪にはならない筈ですが、昔はみんな重罪です。まず伊豆屋の方から云いますと、お八重はもう死んでいますが、しん吉は死罪、しかしお仕置にならないうちに牢死しました。和泉屋の幾次郎は主人の女房と密通した上に、いろいろの悪事をたくらんだので獄門、女房のお大も死罪になりました。友蔵はほかにも悪い事をしているので、これも死罪。いくら江戸時代でも、これだけ一度に死罪を出すのは大事《おおごと》です。
 和泉屋は前の清七の一件があり、又もや死罪が二人も出たので、女房の幽霊が出るの、手代の幽霊が出るのという評判、とうとう店を張り切れなくなって、さすがの旧家もどこへか退転してしまいました。伊豆屋の方は無事に商売していましたが、これも維新後にどこへか立ち去ったようです」
 云いかけて、老人は耳を傾けた。
「おや、雨の音が……。あしたの小金井行きはあぶのうござんすよ」

 雨はあしたの日曜まで降りつづいて、わたしの小金井行きはとうとうお流れになった。その翌年の五月なかばに、半七老人の去年の話を思い出して、晴れた日曜日の朝から小金井へ出てゆくと、堤《どて》の桜はもう青葉になっていた。その帰り道に府中へまわると、町のはずれに鵜を売っている男を見た。かの友蔵もこんな男ではなかったろうかと思いながら、立ち寄ってその値段を訊くと、男は素気《そっけ》なく答えた。
「十五円……。お前さんはひやかしだろう」
 いよいよ友蔵に似て来たので、わたしは早々に逃げ出した。



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年3月25日8刷発行
※この作品には、幡随院長兵衛の法事に関する記述がある。幡随院長兵衛の没年は1650年(1657年説もあり)。事件の起こった嘉永二年は、1849年であることから、「三百回忌の法事」は「二百回忌の法事」が相当と思われる。
入力:A.Morimine
校正:松永正敏
2001年2月13日公開
2004年3月1日修正
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