行くと、うまく瞞《だま》してお大を出してやる。闇祭りの日には江戸や近在の参詣人が大勢集まって来るから、却っていいと云うので、五月五日にお大をこっそり落としてやりました。
 お大は男にだまされて府中へ行き、友蔵の家で待ち合わせていたが、幾次郎は来ない。その翌日になっても姿を見せない。それも道理で、幾次郎は最初から一緒に駈け落ちをする気はない。女のふところには二十両の金を持たせてあるから、それを巻きあげた上でどうとも勝手に始末してくれと、友蔵に頼んである。実にひどい奴もあるものです。
 それを知らずに持っているお大にむかって、友蔵はいよいよ本性をあらわしましたが、自分に駈け落ちの弱味があるから、お大はじたばたすることも出来ない。ふところの二十両は早速にまきあげられて、その上に友蔵の慰み物です。逃げ出されては面倒だと思って、友蔵はお大を細引で縛って、用のない時は戸棚へ抛り込んで置く。お大は三十四、五ですが、容貌《きりょう》もまんざらで無いので、さんざん玩具《おもちゃ》にした上で何処かの田舎茶屋へでも売り飛ばそうという友蔵の下心《したごころ》。お大はひどい目に逢いながらも、今に幾次郎が来るものと思って、泣く泣く我慢していたと云いますから、よっぽどうまく男に瞞《だま》されていたものと見えます。
 どう考えても幾次郎はひどい奴で、体《てい》よくお大を追い払って、百八十両の金を着服《ちゃくふく》して、自分はなんにも知らない顔をして和泉屋に残っている。忠義者の親父に引きかえて、こいつはよくよくの悪者です」
「怖ろしい奴ですね」と、わたしは嘆息した。「そこで、一方のしん吉はどうしたんです」
「こいつも亦ひどい奴で、幾次郎といい取組ですよ」と、老人もまた嘆息した。「伊豆屋という酒屋の女房お八重は、前にも云う通り、大きい子供の三人もありながら、派手づくりで出歩くような女ですから、どうで碌な事はしていまいと思っていると、案のとおり落語家のしん吉に浮かれて方方で逢い引きをしている。それでも上手にやっていたと見えて、近所へは知られなかったのですが、これも女が年上であるだけに熱度がだんだんに高くなる。いくらお人好しでも亭主がある以上、しん吉と思うように逢うことが出来ないので、これも駈け落ちの相談、ちょうど和泉屋の女房とおなじ行き方です。
 この方は大抵お判りでしょうが、府中の方角へしん吉が稼ぎに廻っている時、かねて諜《しめ》し合わせてあるお八重は闇祭り見物ということにして、息子や番頭や若い者を連れて、大びらで家を出て行く。そうして、しん吉の泊まっている釜屋へ乗り込んで、祭りの暗まぎれに手を取って道行《みちゆき》、すべてが思い通りに運んで、その夜のうちに次の宿《しゅく》の日野まで落ち延びました。しん吉は世間の人に覚られないように、その日の午《ひる》過ぎに釜屋をいったん出立して、暗くなってから又引っ返して来たのです。府中から日野まで一里二十七丁という事になっていますが、女の足弱をつれて夜道の旅だから捗取《はかど》らない。八ツ(午前二時)過ぎにようよう日野の宿に行き着いて、寝ている宿屋を叩き起こして泊まりました。
 きのうは昼も歩き、夜も歩き、その疲れで、お八重は日の高くなる頃に眼をさますと、しん吉のすがたが見えない。お八重は家から百五十両の金を持ち出して、それをしん吉に預けると、男はその金を持って影をかくしてしまったのです」
「なるほど幾次郎とおなじような手ですね」
「そうです、そうです。さては置き去りを喰ったのかと、お八重も初めて気が付いたが、どうする事も出来ない。巾着《きんちゃく》に残っている小遣い銭で、どうにか宿屋の払いをして出たが、今さら江戸へも帰られず、男にだまされたくやしさと、身の振り方に困った悲しさとで、いっそ死のうと思い詰めたのでしょう。それから二、三日は何処をうろついていたか知りませんが、その死骸が、調布の河原へ流れ着きました」
「身を投げたんですね」
「多摩川の深そうな所をさがして、身を投げたのでしょう。一方のしん吉はお八重を置き去りにして、又もや府中に引っ返して来て、吉野屋という女郎屋に隠れていた。と云うのは、その店のお鶴という女に熱くなっていたからです。お八重から巻き上げた金はあり、惚れた女のそばに居て、しん吉はいい心持に浮かれていたのですが、お定まりの痴話喧嘩で、もう帰るとか何とか云って、雨の降るなかへ飛び出したのが因果、丁度わたくしの眼にかかって、忽ち首根っこを押さえられました。やっぱり悪いことは出来ませんね。
 悪いことは出来ないと云えば、伊豆屋のお大といい、和泉屋のお八重といい、どっちも同じような不埒を働いて、同じようなひどい目に逢っている。しかもその場所が同じ府中の宿で、おなじ闇祭りの晩だと云うのも、何かの因縁がありそうで、不
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