のか」
 云いながら起きて来たのは、年ごろ四十二、三の、色の赭《あか》黒い、頬ひげの濃い、見るからに人相のよくない大男であった。彼は三人をじろじろ睨んで、俄かに声をあらくした。
「え、ひやかしちゃあいけねえ。おめえ達はその鳥を知っているのか。それは鵜だよ。荒鵜だよ。おめえ達のような人間の買う物じゃあねえぜ」
「鵜は知っているが、値を訊いてみたのよ」と、善八は答えた。
「それだからひやかしだと云うのだ。江戸の人間が鵜を買って行って、どうするのだ。それとも此の頃の江戸じゃあ、鵜を煮て喰うのが流行るのか。朝っぱらからばかばかしい。帰れ、帰れ」と、彼は眼をひからせて呶鳴った。
「まあ、堪忍してくんねえ」と、半七は喙《くち》をいれた。「まったくおめえの云う通り、鵜を買って行っても土産にゃあならねえ。話のたねに値段を訊いただけのことだから、ひやかしと云われりゃあ一言もねえ。だが、この鵜は何処で捕ったのだね」
「四、五日前に何処からか飛び込んで来たのよ。おおかた明神の森へ帰る奴が戸惑いをしたのだろう。森にいる奴を捕るのはやかましいが、おれの家へ舞い込んで来たのを捕るのは、おれの勝手だ。そいつは荒鵜のなかでも荒い奴だから、うっかり傍へ寄って喰い付かれても知らねえぞ。馴れている俺でさえも怪我をした」
 云い捨てて彼は奥へはいってしまった。もう相手にならないと見て、半七は挨拶をしてそこを立ち去った。
「あいつが友蔵か。成程、可愛くねえ奴らしい」と、幸次郎はあるきながら云った。
「善ぱが詰まらねえひやかしをするので、あんな奴にあやまる事になった」と、半七は笑った。
「本当に幽霊が出るか出ねえか知らねえが、あんな奴のところへ出たら災難だ。幽霊に肩を揉ませるか、飯を炊《た》かせるか、判ったものじゃあねえ」
 三人はその日の午過ぎに江戸へ帰り着いた。新宿で遅い午飯《ひるめし》を食って一と休みして、大木戸を越して四谷通りへさしかかると、塩|町《ちょう》の中ほどで幸次郎は急に半七の袖をひいた。
「もし、親分。和泉屋というのはそこですよ」
 そこには和泉屋という暖簾《のれん》をかけた呉服屋が見えた。悪い奴に引っかかって、大事の息子を心中させて、気の毒なことをしたと思いながら、半七はそっと覗くと、四間|間口《まぐち》で、幾人かの奉公人を使って、ここらでは相当の旧家であるらしく思われた。これだけの店の息子が二十両や三十両のことで命を捨てるにも及ぶまいにと、半七はいよいよ気の毒になった。
「ほかにも何か仔細があるかな」と、半七は又かんがえた。

     三

 この年の花どきは珍らしく好い天気の日がつづいて、花にあらしの祟りもなかったが、四月に入ってから陰《くも》った日が多かった。そのあいだには卯の花ぐたしの雨が三日も四日も降りつづいて、時候はずれに冷える日もあった。それでも五月の節句前から晴れて、三、四、五、六、七の五日間は初夏らしい日の光りが、江戸の濡れた町をきらきらと照らした。
 ほかの仕事が忙がしいので、半七も忘れていたが、五月はじめは府中の祭りである。六所明神の例祭は三日に始まって、六日の朝に終る。そのあいだすべて晴天であったのは仕合わせで、諸方から集まる参詣人の混雑も思いやられた。
 その八日の午後である。半七は下谷まで用達しに行って帰ると、幸次郎が一人の客を連れて来て、親分の帰るのを待っていた。
「親分、天気がまた怪しくなって来ましたね」
「むむ。どうも長持ちがしねえので困ったものだ。また泣き出しそうになって来た」
 云いながら不図《ふと》見ると、眼の前にも泣き出しそうな顔をした人が坐っていた。それは四十前後の痩形の男で、お店《たな》の番頭ふうであることは一と目に知られた。幸次郎はすぐに紹介した。
「この人は四谷坂|町《まち》の伊豆屋という酒屋さんの番頭さんですが、少し親分にお願い申してえことがあるので、わっしが一緒に連れて来ました」
 その尾について、男も伊豆屋の番頭治兵衛であると名乗った。半七も初対面の挨拶をして、さてその用件を聞きただすと、治兵衛は重い口からこんなことを語り出した。
「ひと通りのことはさっき幸次郎さんにもお話し申したのでございますが、手前どもの店に少々困ったことが出来《しゅったい》いたしまして……」
 自分を目ざして頼みに来る以上、いずれ何かの事件が出来したのは判り切っているので、半七は相手の話を引き出すように気軽く答えた。
「はあ、そうですか。そこで、その一件というのは何か面倒なことですかえ」
「実はこの五日のことでございますが、御承知の通り、府中の六所明神の御祭礼、その名物の闇祭りを一度見物いたしたいと申しまして、おかみさんと総領息子、それにわたくしと若い者の孫太郎と、都合四人づれで六ツ半(午前七時)頃から店を出ました。勿論
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