こいつが曲者でした。前にも申す通り、おやじの勇蔵が主人の罪をかぶって牢死した。その忠義に免じて、和泉屋でも眼をかけて使っていた。和泉屋には子がないので、行くゆくは養子にしてくれるかと内々楽しみにしていると、主人の親類から清七という養子が来てしまったので、幾次郎は的《あて》がはずれた。それが、そもそもの始まりで、自棄《やけ》も手伝って道楽をする。それでも主人が大目《おおめ》に見ているので、だんだんに増長して和泉屋乗っ取りを企てる事になりました。その場合、あなたならどうします」
「さあ、まず養子の清七を遠ざけるんですね」
「だれの考えも同じことで、まあそうするのほかはありません。和泉屋の女房は後妻で、亭主の久兵衛とは年がよほど違っている。そこで何日《いつ》かそのお大と不義を働くようになった。幾次郎に取っては勿怪《もっけ》の幸い、せいぜい女房の御機嫌を取って清七放逐の計略をめぐらしたが、あいにく清七がおとなしい男で、難癖をつけるような科《とが》が無い。そのうちに一昨年《おととし》の五月、幾次郎は清七を府中の闇祭りに連れ出して、その帰りに調布の甲州屋へ誘い込んだ。こうして道楽の味をおぼえさせて、だんだんに清七を堕落させ、それを落ち度にして和泉屋から放逐するという魂胆でしたが、その薬が利き過ぎて、相方のお国は清七に初会《しょかい》惚れ、清七の方でも夢中になる。さあ占めたと、幾次郎とお大は肚《はら》をあわせて主人の久兵衛にいろいろの讒言をする。久兵衛も馬鹿な男ではないのですが、自然それに巻き込まれて、清七の信用は次第に薄くなる。それでも清七の迷いは醒めないで、二十五両の金を持ち出してお国を身請けという事になったのです。勿論、幾次郎も蔭へ廻ってそそのかしたに相違ありません。
 ところが、お国には友蔵という悪い親父が付いているので、いい鴨がかかったとばかりで、二十五両を横取り、喧嘩仕掛けで清七を逐い出してしまった。根がおとなしい人間ですから、清七はくやしさが胸いっぱい、もう一つには近ごろ養父や養母の機嫌を損じて、まかり間違えば離縁になるかも知れないと云うようなことも薄々感じている。二十五両の金とても帳合いをごまかした金だから、それが露顕すればいよいよ自分の身があやうい。お国もそれに同情して、又二つには邪慳《じゃけん》な親父への面当てもあったのでしょう、二人はとうとう心中という事にな
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