どもの店の前を通りました。博奕にでも勝ったと見えまして、それから女郎屋へまいって景気よく飲んで騒いでいたとか申します」
「鵜でも売れたのだろう」と、半七は笑った。
「いえ、鵜はまだ売れません。家の前に売り物の札《ふだ》が付いて居ります」と、文右衛門はまじめに答えた。
「伊豆屋の若い者はどうしたね」
「きのうまで手前共に逗留《とうりゅう》でしたが、いつまでも手がかりが無いので、いったん江戸へ帰ると云って、今朝ほどお立ちになりました」
「それじゃ行き違いになったか」
釜屋の亭主を帰したあとで、半七は善八にささやいた。
「おめえは友蔵の家《うち》を知っているだろう。あいつは今夜、家にいるかどうだか、そっと覗いて来てくれ」
「ようがす」
善八はすぐに出て行った。
「友蔵の奴を挙げますかえ」と、幸次郎は訊いた。
「あいつ、どうも見逃がせねえ奴だ。不意に踏み込んで調べてやろう。先月の晦日ごろに江戸へ出たといい、景気よく銭を遣っているといい、なにか曰《いわ》くがあるに相違ねえ」
やがて善八は帰ってきた。
「友蔵は家《うち》で酒を喰らっていますよ」
「友達でも来ているのか」
「それがね。髪も形《なり》も取り乱しているが、ちょいと踏めるような中年増に酌をさせて、上機嫌に何か歌っていましたよ」
「それが例の幽霊かな」と、幸次郎は云った。
「なるほど蒼い顔をしていたが、確かに幽霊じゃねえ。第一、友蔵の娘という年頃じゃあなかった」
「よし」と、半七はうなずいた。「野郎ひとりに三人がかりも仰山《ぎょうさん》だが、折角来たものだから、総出としよう。おれは此のままで宿屋の貸下駄をはいて行く。野郎、あばれるといけねえから、おめえ達は支度をして行ってくれ」
三人は宿《やど》を出ると、今夜ももう五ツ(午後八時)過ぎで、まばらに暗い町の灯は雨のなかに沈んでいた。この宿《しゅく》には三、四軒の女郎屋がある。その一軒の吉野屋という暖簾をかけた店から、ひとりの若い男が傘もささずに出て来ると、又あとから其の相方《あいかた》らしい若い女が跣足《はだし》で追って来た。
「しんさん、お待ちよ」
「知らねえ。知らねえ」
男は振り切って行こうとするのを、女は無理にひき戻そうとして、たがいに濡れながら争っている。宿場の夜の風景、別にめずらしいとも思われなかったが、しんさんと云う声が耳について、半七は不図みかえると
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