ました。場所が近いだけに、なんとなく競争の形です。
 いつの代でもそうかも知れませんが、昔は神仏に流行《はや》り廃《すた》りがありまして、はやり神はたいへんに繁昌するが、やがて廃れる。そこで、流行らず廃らずが本当の神仏だなぞと云ったものですが、新らしきを好むが人情とみえて、新らしく出来た神さまや仏さまは一時繁昌するのが習いで、高源寺の縛られ地蔵も当座はたいそう繁昌、お線香やお賽銭がおびただしいものであったと云います。どうで縛るならば、繁昌の地蔵さまを縛った方が御利益《ごりやく》があるだろうと云うわけでしょう。
 その御利益があったか無かったか知りませんが、前にも申す通り、流行りものはすたれる道理で、一時繁昌の縛られ地蔵も三、四年の後にはだんだんに寂れて、参詣の足はふたたび本家の林泉寺にむかうようになりました。これからのお話は安政六年七月以後の事と御承知ください。去年の安政五年は例の大《おお》コロリで、江戸じゅうは火の消えたような有様でしたから、ことしの夏は再びそんな事の無いようにと、誰も彼もびくびくしていると、六月の末頃からコロリのような病人が、又ぼつぼつとあらわれて来ました。もちろん
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