行かないので、彼は素知らぬ顔をして朝飯を食って、ほかの役僧らと共に長谷寺へ参列した。
 兜の一件は、世間にこそ秘していたが、寺中にはもう知れ渡っていたので、その噂を聴くたびに教重はひやひやした。慈悲柔和な観音の尊像も、きょうは自分を睨んでおわすかのように思われて、彼が読経の声はみだれ勝ちであった。それに付けても、心にかかるのは彼《か》の二朱銀五個の始末である。小判だけを戻したのでは罪は消えない。小判でも二朱銀でも一文銭でも、仏の眼から観れば同様で、たとい二朱銀一個でも、それを着服している以上、自分の罪は永劫に消えないのである。彼は今夜にもそれを戻そうと決心した。
 仏の前に懺悔をしても、自分の罪を人間の前にさらすことを恐れた教重は、前夜と同じように、手拭をかぶり、鬼の面をかぶって、再び夜叉神堂へ忍び寄ったのである。すでに懺悔をしている以上は、鬼の面の貼り付くおそれはないと彼は信じていた。
 この告白を聞かされて、兼松も勘太も少しく的《あて》がはずれた。
「それじゃあ、おめえはその二朱銀を返しに来たのかえ」と、兼松は念を押した。
「はい。この通りでございます」と、教重は袂から二朱銀を出し
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