わたくしには出来ませんでした。そこで夜叉神の前に頭をさげて、わたくしは心から懺悔をいたしました。そして、盗んだ金銀を元のところへ戻しに参ろうと存じまして、暫く祈念いたして居りますと、不思議にその面が取れました。やれ有難やと喜んで、再び奉納小屋の方へ引っ返そうと致しますと、この頃は夜の明けるのが早くなったのと、開帳中は特に早起きをいたしますので、寺中ではもう雨戸を繰るような音がきこえます。わたくしは急に気おくれがして、もし見付けられたら大変だと思いまして、小屋へは引っ返すのをやめましたが、袂の金の始末に困りました。むやみに其処らへ捨てて行くわけにも行かず、当座の思案で小判五枚を面の箱へ押し込みました。こうして置けば、夜叉神の功力《くりき》で何とか元へかえる術《すべ》もあろうかと思ったからでございます。一旦かぶった面は、自分が一生の戒めにするつもりで、袂に入れて帰りました」
このときの教重は確かに懺悔滅罪の人であった。小判と共に二朱銀も戻した積りであったが、寺へ帰ってみると、五個の銀が袂に残っていた。彼は慌ててそれだけを持ち帰ったのである。飛んだ事をしたと悔んだが、今さら引っ返すわけにも行かないので、彼は素知らぬ顔をして朝飯を食って、ほかの役僧らと共に長谷寺へ参列した。
兜の一件は、世間にこそ秘していたが、寺中にはもう知れ渡っていたので、その噂を聴くたびに教重はひやひやした。慈悲柔和な観音の尊像も、きょうは自分を睨んでおわすかのように思われて、彼が読経の声はみだれ勝ちであった。それに付けても、心にかかるのは彼《か》の二朱銀五個の始末である。小判だけを戻したのでは罪は消えない。小判でも二朱銀でも一文銭でも、仏の眼から観れば同様で、たとい二朱銀一個でも、それを着服している以上、自分の罪は永劫に消えないのである。彼は今夜にもそれを戻そうと決心した。
仏の前に懺悔をしても、自分の罪を人間の前にさらすことを恐れた教重は、前夜と同じように、手拭をかぶり、鬼の面をかぶって、再び夜叉神堂へ忍び寄ったのである。すでに懺悔をしている以上は、鬼の面の貼り付くおそれはないと彼は信じていた。
この告白を聞かされて、兼松も勘太も少しく的《あて》がはずれた。
「それじゃあ、おめえはその二朱銀を返しに来たのかえ」と、兼松は念を押した。
「はい。この通りでございます」と、教重は袂から二朱銀を出して見せた。
隠した金を取り出しに来たならば、わざわざ二朱銀五個を袂に入れて来るはずもない。まったく彼は盗んだ金を返しに来たのであった。そう判ると、兼松らもこの若い僧を憎めないような気にもなった。
夜叉神の咎めか、あるいは彼の良心の咎めか、肉付きの面のむかし話にも似たような、一種の不思議を見た為に、彼は今も張子の鬼の面の前に悔悟の涙を流しているのであった。更に不思議と云えば云われるのは、彼が小判と共に二朱銀一個を面箱のなかに押し込んで去ったことである。彼は何分にも慌てていたので、小判五枚は確かにおぼえていたが、二朱銀は五個か六個かはっきりとも記憶していなかった。したがって、二朱銀は全部持ち帰ったものと思っていたのであるが、その一個は面箱のなかに落ちていて、偶然にもおぎんに発見されたのである。
おぎんもこの二朱銀を発見しなければ、単に古い面を持ち帰るに過ぎなかったであろう。二朱銀を発見した為に、おぎんは兼松らに捕えられ、更に箱の底から小判五枚を発見され、又それがために教重も捕えられることになったのである。老練の兼松もここへ来るまでは、別にこれという成案もなかった。おぎんに眼を着けたのが彼の手柄でもあるが、それとても実はまぐれあたりに過ぎない。所詮は面箱のうちに忍んでいた二朱銀一個が、手引きをしてくれたのであった。
「まったく神の業《わざ》です」と、教重がいよいよ恐れたのも無理はなかった。
この時、奥の障子をあけて、女の白い顔があらわれた。それは先刻から門番所に預けられていたおぎんであった。彼女は薄暗い行燈のひかりに教重の顔をのぞきながら云った。
「あら、やっぱりお前さんだったの。どうも聞き覚えのある声だと思ったら……。お前さん、まだ道楽をやめないで、とうとう大変な事を仕出来《しでか》したのねえ」
教重は蒼い顔を俄かに赤くした。
彼はおぎんが品川に勤めている頃の馴染であった。
「この坊さんは斯う見えても、なかなか口がうまいので、あたしばかりじゃあ無い、大勢の女が欺されたんですよ」
なにか昔の恨みがあると見えて、おぎんは遠慮なしに畳みかけるので、教重はいよいよ赤面した。兼松も勘太も笑い出した。
「そんなに弱い者いじめをするなよ」と、兼松は云った。「二朱銀一つだって、ちょろまかせば罪人だが、今夜のところは眼こぼしにしてやる。早くうちへ帰って、亭主の看病でもしろ」
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