《かざりや》の職ですが、これも普通の錺屋には出来ない芸です。といって、折角評判になったものをただ引っ込めるのは残念でもあり、人気にもさわるので、講中の人達も頭を悩ました末に、役人に対しては三日間の猶予を願いまして、そのあいだに何とか工夫《くふう》することになりました。その猶予は幸いに聴き届けられましたので、まずほっ[#「ほっ」に傍点]としたのは三月十一日の夕方でした。
三日の猶予では京都から職人を呼び寄せることは出来ない。江戸にそんな細工をするような職人が無いとすれば、金銀の穴は銅か真鍮の延べ板で埋めてしまうのほかはないと、まずあらましの相談を決めて、講中の世話役の人達は寺内に泊まるもあり、近所の宿へ帰るもあり、昼間の混雑に引きかえて、春の宵は静かに更《ふ》けて行きました。さあ、これからがお話で、夜が明けて見ると、その兜の前立てにならんでいる小判五枚と二朱銀五枚が紛失しているので、みんなも胆《きも》を潰しました。二朱銀は知れたものですが、一方は慶長小判ですから、その頃の相場でも五枚で五十両ぐらいになります。十両以上の品を盗めば首の飛ぶ時代に五十両の盗賊、さあ大変と騒ぎ立てるのも無理はありません。
こう云うと、今の人はなぜ番人を付けて置かないのだ、さも無くば夜中は寺内に仕舞い込んで置けばいいと仰しゃるに相違ない。そこが昔と今とは人情の違うところで、いくら悪い奴でもお開帳の奉納物を盗むなぞという事はあるまいと油断している。現に西の宮の時には盗難もなかったそうです。それでも江戸は生馬《いきうま》の眼をさえ抜く所だからと云うので、寺男がひと晩のうちに三度は見廻ることになっていて、寺男の弥兵衛が九ツと八ツと七ツ、即ちこんにちの十二時と午前二時、四時の三度は、そこらの小屋を一巡して、奉納物に別条はないかと見まわる。その晩も暁《あ》け七ツに見まわった時まで無事であったと云うのですが、弥兵衛ももう年寄りですから、寝ごころのいい春の夜にうっかり寝込んでしまったか、それとも初めから横着を極めて、ひと晩に一度ぐらいしか起きて行かなかったか、その辺はどうも判り兼ねます。
寺社方の指図で、忌《いや》でも取り外さなければならない小判ではあるが、さてそれが紛失したとなっては大問題で、係りの者一同も顔の色を変えて騒ぎ出しました。ともかくもその次第を寺社方へ訴え出ますと、役人の方では、それ見た
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