せて作ったのでした。これは珍らしいと云うので大変な評判。これだけの兜をこしらえるには、何貫文の銭が要るだろうなぞと、余計な算当をしながら見とれているのもある。
もちろん銭ばかりでは全体が黒ずんでしまって、兜の色の取り合わせが悪いので、前立てや吹き返しには金銀の金物をまぜてありました。金物と云ってもやはり本物で、金は慶長小判、銀は二朱銀を用いていましたから、あの小判が一枚あればなぞと涎《よだれ》を流して覗いているのもある。なにしろ金銀を取りまぜた大兜が、春の日にきらきらと光っているのですから、参詣人の眼をおどろかしたに相違ありません。
この評判があまり高くなったので、寺社方の役人も検分に来ました。たとい小銭にしても、天下通用の貨幣をほかの事に用いるのは、その時代には頗るやかましかったのです。下手な細工をすると、国宝|鋳潰《いつぶ》しという重罪に問われます。今度の兜はただ組み合わせてあるだけで、別にお咎めを受けるほどの事でもなく、折角これだけに出来ているものを取りのけさせるのも如何《いかが》であるから、このまま飾り置くのは仔細ないが、金銀をまぜてあるのは穏かでない。小判と二朱銀だけは早々に取りのけろと申し渡されました。
世話役の者共も恐れ入って、委細承知のお請けをしましたが、元来この造り物は、江戸の講中《こうちゅう》からの奉納ではなく、京都の講中の供え物でした。その前年、即ち文化八年の春、大阪西の宮で四十八年目の開帳があった時に、境内に小屋を建てて種々の造り物を飾りましたが、そのなかには金銀又は銭を用いたものがあって、それが評判になったので、今度の兜もそれを真似たのです。西の宮の時には別にお差し止めの沙汰もなかったので、今度も大丈夫だろうと多寡をくくって持ち出して来たところが、右の次第で金銀だけは取りのけろと云うことになった。金銀を外してしまっては、兜も光りを失うわけですが、どうも致し方がありません。それはまあそれとして、差しあたり困るのはその修繕です。前立てや吹き返しの金銀を取りのけて、小銭でその穴埋めをするというのがむずかしい。京都の職人の細工ですから、その土地ならば早速に何とかなるのでしょうが、江戸にそんな職人があるかどうかが問題です。
兜をこしらえるのは兜師の職ですが、普通の兜師のところへ持ち込んでも、そんな細工を引き受ける筈はありません。金銀細工は錺屋
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