。お見それ申して、飛んだ失礼をいたしました。わっしは神明の千次でごぜえます」
「そうらしいと思った。まあ、こっちへ来てくれ」
 半七は彼を引っ張って、五、六間さきの質屋の土蔵の前へ連れ出した。千次はなんだか落ち着かないような顔をしていたが、それでも素直に付いて来た。
「今聞いていりゃあ、おめえはさつきの帳場で何だか大きな声をしていたじゃあねえか。喧嘩でもしたのかえ」
「おまえさんに聞かれるとは知らねえで……」と、千次は頭をかいた。「どうかまあお聞き流しを願います」
 彼がどんなことを云っていたのか、半七は実は知らないのであるが、いい加減にばつ[#「ばつ」に傍点]をあわせて云った。
「むむ、どうもおめえの方がよくねえようだな」
「相済みません。どうぞ御勘弁を願います」と、千次は又あやまった。
 見たところ彼はそれほど悪党でもなく、所詮《しょせん》は地廻りの遊び人に過ぎないらしい。半七は笑いながら云った。
「ただ御勘弁と云っても、むむ、そうかとばかりも云っていられねえ。どうも此の頃はおめえの評判がよくねえからな。ともかくもそこらの番屋まで来て貰おうか」
 嚇されて、千次はいよいよ慌てた。

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