の兄貴ですよ」
「そうだ」
「もう少し歩兵を尾《つ》けてみましょうか」
「まず昼間で工合《ぐあい》が悪いが、もう少し追ってみろ」
 渡しが出るよう、と呼ぶ声におどろかされて、亀吉は怱々に堤下へ駈けて行くと、半七はあき茶屋へはいって煙草を一服吸った。もうこっちの物だと云うような軽い心持になって、彼は堤のまんなかを飛んでゆく燕《つばめ》の影を見送りながら、ひとりで涼しそうにほほえんだ。
 歩兵隊の髪切りは、猿でなく、狐でなく、豹でなく、人間の仕業であろうと、半七は推測した。もし人間であるとすれば、第一に疑うべきは鮎川丈次郎と増田太平の二人である。ほかの九人はなんにも心あたりが無いと云うにも拘らず、この二人は獣のようなものに襲われたと云っている、或いはこの二人がほかの九人の髪を切って、その疑いを避けるために自分自身の髪をも切って、まことしやかにいろいろのことを云い触らしているのかも知れないと、彼は思った。
 そこで鮎川や増田がなぜそんなことをしたか。それは単なるいたずらでない、自分たちの意趣遺恨でもない、恐らく何者にか頼まれたのであろう。彼等は何者にか買収されて、歩兵隊の威光と信用とを傷つけ
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