ん中に突っ立ったままで、一心不乱に読んでいる。それは年ごろ十八九の小粋《こいき》な男で、襟のかかった半纏《はんてん》を着ていましたが、こんなことが好きなのか、よっぽど面白いのか、我れを忘れたように一心に読んでいるのです。わたくしも商売柄、こんな事にも眼がつきますから、これには何か仔細がありそうだと思いましたが、別にどうすると云うわけにも行きません。買い物の助惣焼を小風呂敷につつんで店を出ると、そこへ通りかかって、やあ、親分と声をかける者がありました。
 見ると、それはこの近所に住んでいる馬秣屋《まぐさや》の亭主です。この時代には普通に飼葉屋《かいばや》とか藁屋《わらや》とか云っていましたが、その飼葉屋の亭主の直七、年は四十ぐらいの面白い男でした。御承知の通り、飼葉屋というのは方々の武家屋敷へ出入りして、馬秣を納めるのが商売です。わたくしは前からこの男を識っているので、二つ三つ世間話なぞをして別れました。それから四谷の方へ行こうと思って、麹町四丁目の辺まで行きかかると、あとから直七が追って来ました。直七には連れがある、それは熱心に瓦版を読んでいた若い男でした。
 直七はわたくしを呼びとめ
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