為さんは金右衛門さんと相談して、ともかくもお種さんを取り戻しに行くことになりましたが、二人の路銀をあわせても六両の金がありません。胴巻の金まで振るい出しても、四両二分ばかりしか無いので、不足の一両二分は旦那が足してやることにして、今夜ここへ出て来たのです」
「主人がなぜ一緒に来ねえのだ」
「主人が一緒に来る筈でしたが、夕方から持病の疝癪《せんき》の差し込みがおこって、身動きが出来なくなりました。朝早くから出歩いて、冷えたのだろうと云うのです。そこで、主人の代りにわたしが出て来ることになりました。権田原のまん中に大きい榛の木がある。そこへ行けば、相手がお種さんを連れて来ているから、六両の金と引っ換えに、お種さんを受け取って来いと云われたので、為さんを案内して出て来ると、途中でこんな騒ぎが出来《しゅったい》したのです」
「それにしても、無じるしの提灯をなぜ持って来た」
「旦那の云うには、こんなことが世間へ知れると、おたがいに迷惑する。下総屋のしるしのない提灯を持って行けと云うので……」
「むむ。まあ、大抵は判った。じゃあ、おれに手伝って、この怪我人を運んで行け」
さっきから手負いのことが気にかかっているので、半七は藤助に指図して、そこに倒れている為吉を扶《たす》け起こそうとする時、うしろの枯れ芒ががさがさと響いた。
それが風の音ばかりでないと早くも覚って、半七が屹《きっ》と見かえる途端に、何者かが又斬ってかかった。油断のない半七はあやうく身をかわして、すぐにその手もとへ飛び込んだ。提灯は投げ出されて消えてしまった。素早く手もとへ飛び込まれて、刀を振りまわす余地がないので、相手も得物《えもの》をすてて引っ組んだ。こうなると双方が五分々々である。殊に岡っ引や手先は手捕りに馴れているので、相手もやや怯《ひる》んだ。
こういう野原の習いとして、誰が掘ったというでも無しに、自然に崩れ落ちた穴のようなものがある。暗がりで組打ちの二人は、足をすべらせて二、三尺の穴に落ちた。
五
「取り押さえましたか」と、私は中途から口をいれた。それを話す半七老人が眼の前にいる以上、仕損じの無かったことは知れているのであるが、それでも人情、なんだか一種の不安を感じたからであった。
「捕り損じちゃあ事こわしです」と、半七老人は笑った。「まあ、御安心ください」
「そいつはいったい何者です」
「こいつが六道の辻で仇討をした奴ですよ。かたき討をした時に、水野家の辻番へ行って、自分は備中松山五万石板倉周防守の藩中と名乗りましたが、それは出たらめで、実はその近所の一万石ばかりの小さい大名の家来です。自分は伊沢千右衛門、かたきは山路郡蔵、この姓名も出たらめで、本人は野口武助、相手は森山郡兵衛というのが実名でした」
「じゃあ、かたき討も嘘ですか」
「まあ、こういうわけです。野口武助の親父は武右衛門といって、屋敷の金蔵番であったのは本当です。せがれの武助は放蕩者、同藩中の森山郡兵衛と共謀して、自分のおやじが鍵預かりをしている金蔵へ忍び込み、五百両の金をぬすみ出して出奔した。こんな事をすれば親父に難儀のかかるのは知れ切っているのに、実に呆れた不忠不孝の曲者です。果たしてそれが為に、親父の武右衛門は切腹したそうです。ところで、本街道を行くと追っ手のかかる虞《おそ》れがあるので、武助と郡兵衛は廻り道をして丹波路へ落ちて来ると、郡兵衛は武助を途中で撒《ま》いて、どこへか逃げてしまいました。勿論、例の五百両は郡兵衛が持ち逃げをしたわけです。
これには武助もおどろいたが、表向きに訴えることも出来ません。なにしろ江戸へ出る約束になっていたのですから、郡兵衛も大かた江戸へ行ったろうという想像で、武助はそのあとを追って江戸へ出て来ましたが、一万石の故郷とは違って江戸は広い。いかに根《こん》よく探し歩いたところで、容易に知れる筈はありません。そのうちに懐中《ふところ》は乏しくなる。根が悪い奴ですから、お定まりの浪人ごろつきとなって、強請《ゆすり》や追剥ぎを商売にするようになりました。
そうしているうちに、国を出てから足かけ五年目、測《はか》らずも青山六道の辻で、かたきの森山郡兵衛にめぐり逢いました。主人のかたきでも無く、親のかたきでも無いが、自分に取っては年ごろ尋ねる仇《あだ》がたきです。そこで、おのれ盗賊……。実を云えば、自分も盗賊の同類ですが、まあ相手だけを盗賊にして、ここでかたき討ちをしてしました。しかし往来なかで人殺しをした以上、そのままに済ませることは出来ませんから、ずうずうしく度胸を据えて、自分の方から辻番へ名乗って出て、真実《まこと》空事《そらごと》取りまぜて、かたき討ちの講釈をならべ立てた次第です。
かたき討ちも嘘、姓名も身許も嘘ですから、板倉家へ問い合わされれば、すぐに露顕するのは判っています。そこで、辻番をうまくごまかして、横手の大竹藪へもぐり込んで、首尾よく逃げおおせたのです。殺された郡兵衛は悪銭身に着かずで、持ち逃げの金はみんな道楽に使ってしまい、今では本郷辺の旗本屋敷の若党に住み込んでいて、その日は千駄ヶ谷辺の知りびとのところへ尋ねて行く途中、子供のみやげに柿を買っている処を、おのれ盗賊とばっさりやられたのですが、全く盗賊に相違ないのですから仕方がありません。一年三両二分の給金を取る若党が、ふところに二両足らずの金を持っていたのは少し不審で、こいつも相変らず悪い事をしていたのじゃないかと思われますが、死人に口無しで判りませんでした」
これで六道の辻の一件は説明されたが、佐倉の一行に関する秘密は不明である。しかも半七老人の話を聴いているうちに、誰でも疑いを懐《いだ》くのは下総屋という米屋の主人であろう。彼がこの事件に重大の関係を有するのは、どんな素人にも容易に想像されることである。私がそれを云い出すと、老人はうなずいた。
「そうです、そうです。金右衛門を斬って、娘のおさんをかどわかしたのは、下総屋の茂兵衛の仕業です。この茂兵衛という奴はなかなかの悪党で、店の若い者銀八というのを手先に使って、方々で盗みを働いていたのですが、商売は手堅く、うわべは飽くまでもまじめに取り澄ましていたので、近所は勿論、家内の者にも覚られなかったと云いますから、よっぽど抜け目なく立ち廻っていたに相違ありません。いつぞやお話をした唐人飴の一件、あの唐人飴屋が泥坊のぬれぎぬを着せられたのですが、あの辺を荒らした賊の正体を洗ってみると、実はこの茂兵衛の仕業だということが判って、青山辺ではみんな案外に思ったそうです。人は見掛けに因らないと云いますが、この米屋の奴らなぞは頗る上手にごまかしていたと見えます」
「金右衛門を斬ったのは、娘をかどわかす為ですか」
「こんな奴らですから、慾心も無論に手伝っていたでしょうが、これこそ本当のかたき討ちのつもりなんですよ」
「これもかたき討ちですか」と、私はすこし意外に感じた。
「まあ、かたき討ちですね。さっきもお話し申した通り、八年前に金右衛門は江戸見物に出て来たことがあります。そのころ茂兵衛は深川に住んでいて、やはり米屋をしていました。金右衛門は一人で出て来たので、馬喰町に宿を取らず、茂兵衛の家に小半月ほども泊まって、ゆっくり江戸見物をして帰りましたが、ここに一つの面倒がおこった。と云うのは、茂兵衛の女房のお稲と金右衛門とは従妹《いとこ》同士で、子供のときから仲がいい。今度も金右衛門が逗留している間、お稲が親切に世話をしてやった。それが亭主の茂兵衛の眼には怪しく見えたと云うわけで、金右衛門が帰国した後に夫婦喧嘩がおこりました。
従妹同士の金右衛門とお稲とのあいだに、本当に不義密通の事実があったのか、但しは茂兵衛ひとりの邪推か、そこははっきり判り兼ねますが、その以来、夫婦仲がとかくにまるく納まらないで、何かにつけて茂兵衛は女房につらく当たったそうです。そのためか、お稲はだんだんに体が弱くなって、おととしの暮れに三十三で死にました。死ぬ三日ほど前にも激しい夫婦喧嘩をしたと云いますから、お稲の死因も少し怪しいと思われないこともありません。
江戸と佐倉と距《はな》れていますから、そんな捫著《もんちゃく》のおこったことを金右衛門はちっとも知らないで、今度の芝居見物に出て来たついでに、八年振りで下総屋へ尋ねて来ました。その金右衛門の顔をみると、茂兵衛はむかしの恨みがむらむらと湧き出して……。昔はこういうのを女仇討《めがたきうち》と云いましたが、何分にも無証拠ですから、表立ってかれこれ云うことは出来ません。しかし相手の顔をみると、茂兵衛は口惜しくって堪まらない。こういう奴に限って、嫉妬心も深い、復讐心も強い。無理に金右衛門らを一泊させて、なにかひと趣向しようと思ったのですが、どうしても馬喰町の宿へ帰ると云うので、急に思い付いたのが前の一件です。
金右衛門ら四人を小僧に送らせて、自分は近道を先廻りして、藪のなかに待っていて、金右衛門に斬り付ける。若い者の銀八はおさんを引っ担いで逃げる。銀八は重い米をかついで毎日得意先へ配っているのですから、十六の小娘を引っ担いで逃げるのは骨は折れません。勿論、手拭をおさんの口へ捻じ込んで、例の化け物屋敷へ連れ込んで、茶の間の押入れへ投げ込んでしまいました。
これで万事思い通りに運んだのですが、茂兵衛の刄物は脇指で、おまけに腕が利かない。一方の野口武助はともかくも侍ですから、かたきの森山郡兵衛を首尾よく仕留めましたが、こっちは町人の悲しさにどうもうまく行かないで、斬るには斬ったが案外の浅手でした。まあ、こう云ったわけで、茂兵衛としては女仇討の積りだったのですよ」
これで金右衛門一件の輪郭は判った。
六
理窟の善悪はしばらく置いて、武助もかたき討ちであると云い、茂兵衛もかたき討ちであると云う。この二様のかたき討ちが同じ日の昼と夜とに起こったと云うだけで、双方のあいだに何の連絡も無いのであろうか。私はそれを訊きただすと、半七老人はにやにや笑った。
「あなたには判りませんかな。権田原で取り押さえたのが野口武助だと云ったじゃあありませんか。武助だって酔狂に抜き身を振り廻したのじゃあない。下総屋の茂兵衛と糸を引いているのですよ」
「そうすると、この二人は前から懇意なんですね」
「茂兵衛も女房に死に別れて、当時は独り身ですから、新宿なぞへ遊びに行く。しかし多くは昼遊びで、決して家を明けたことが無いので、誰も気がつかなかったそうです。その遊び先で武助と知り合いになって、悪い奴同士が仲好くなってしまったのです。茂兵衛の方が役者は一枚上なので総大将格、内では若い者の銀八、外では浪人の武助、この二人を両手のように働かせて、いろいろの悪事を重ねていたので、その兇状がだんだん明白になるに付けて、近所の者はいよいよ驚いたそうです」
「為吉の妹をかどわかしたのは誰です」
「お種をかどわかしたのも、やっぱり銀八です」と、老人は説明した。「わたくしは米搗きの藤助に眼を着けていたんですが、これは案外の善人で、銀八の方が案外の曲者でした。銀八は、茂兵衛の指図を受けて、化け物屋敷の空家に監禁してあるおさんの処へ、食い物をそっと運んでいたのですが、こんな奴が唯それだけで帰る筈がありません。定めて好き勝手な真似をして、年の行かない娘をいじめたのでしょう。おさんがどうぞ家《うち》へ帰してくれと泣いて頼むと、それじゃあ明日《あした》の夕がたに連れて行ってやると約束して帰りました。
そこで、あしたの午後、お種が近所の湯屋へ出て行ったのを見とどけて、化け物屋敷へおさんを迎えに行きました。おさんは喜んで出て来ると、途中で往来のないのを窺って、銀八は不意に匕首《あいくち》をおさんに突き付けて、これからお種に逢っても、おれの許すまで決して口を利いてはならないと嚇かして連れて行きました。そうして、湯屋の近所に待っていて、お種の出て来るのをそっと呼びました。
おさんの姿をみて、お種はおどろいて駈け寄ると、銀八がここでは話が出来ないから、ちょ
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング