いと其処まで来てくれと云う。つまりはおさんを囮《おとり》にして、お種を誘い出したのです。おさんは嚇かされているので、迂濶に口を利くことが出来ない。お種はおさんに引かれて、うかうか付いて行く。なにしろ十六と十七の田舎娘ですから、こんな悪い奴に出逢っては赤児も同然、どうにも仕様がありません。こうして、おさんは化け物屋敷へ逆戻り、お種も一緒に生け捕られてしまいました」
「成程ひどい奴ですね」と、わたしも思わず溜め息をついた。
「ひどい奴ですよ。茂兵衛や銀八の肚《はら》では、こうして生け捕って置いて、二人の女を宿場女郎に売り飛ばす目算でしたが、金右衛門と為吉がいては何かの邪魔になる。殊に為吉は血気ざかりの若い者で、自分の女房と思っているおさんが行方不明になったので、気が気でない。たとい金右衛門の傷どころが癒っても、おさんやお種のゆくえの知れないうちは決して国へ帰らないなどと云っているので、これも何とか押し片付けてしまわなければならない。そこで、茂兵衛と銀八は相談して、為吉を権田原へ誘い出すことになったのです。こう云えば大抵お察しが付くでしょうが、榛の木の下に待っていたのはかの野口武助で、ここで為吉をばっさりという段取りでした」
「案内者の藤助は全くなんにも知らなかったんですか」
「米搗きの藤助、見かけは商売柄に似合わない小粋な奴で、ちっとは道楽もするのですが、案外にぼんやりした人間で、なんにも知らずに茂兵衛の手先に使われていたのです。いや、それでも運の好かったのは、自分の命の助かったことで……。茂兵衛や武助の料簡じゃあ、為吉ひとりを殺すと世間の疑いを受けるので、刷毛《はけ》ついでに藤助も冥途へ送るつもりだったそうです。どう考えてもひどい奴らです。
 そこで、おかしいのは武助という奴で、なんぼ何でも人間ふたりを殺すのですから心持がよくない。酒の勢いを借りて威勢よくやる積りで、新宿あたりで一杯のんで来て、榛の木の下の暗やみに待っていると、そこへかのお若と徳次郎のひと組が来ました。道行《みちゆき》の二人連れ、さしずめ清元か常磐津の出語りで『落人《おちうど》の為かや今は冬枯れて』とか云いそうな場面です。誰の考えも同じことで、この榛の木を目当てに『辿り辿りて来たりけり』という次第。何しろここで心中をするのだから、それだけじゃあ済みますまい。お芝居の紋切り型で『抑《そも》や初会《しょかい》の其の日より』なぞと、口説き文句も十分にあった事と察せられます。
 お若と徳次郎はそこらに人が忍んでいようとは夢にも知らないで、色模様よろしくあったのですが、暗やみで其の口説き文句を聴かされている武助はやりきれません。すっかり気を悪くして癪にさわった。おまけに一杯機嫌ですからなお堪まりません。もう一つには、ここで二人にごたごたされていては、自分の仕事の邪魔になる。かたがた不意に飛び出して、斬るぞと嚇かしたので、二人は驚いて逃げる。そこへ為吉と藤助が来る、庄太とわたくしが来る。いや、もう、大騒ぎで、何もかもめちゃくちゃになってしまいました。
 武助は事面倒と見て、一旦は姿を隠したのですが、なんだか不安心でもあるので、そっと引っ返して来て窺っていると、お若と徳次郎は送り還されて、これから為吉と藤助の詮議が始まりそうになったので、為吉の口から詰まらないことを喋《しゃべ》られては大事露顕の基《もと》と、だしぬけに斬って逃げたのです。それで逃げてしまえばいいのに、また引っ返して来て今度はわたくしを斬ろうとした。本人は藤助を斬るつもりだったと云っていましたが、どっちにしても又出直して来たのが不覚で、とうとう運の尽きになりました」
「茂兵衛と銀八はすぐに召し捕られましたか」
「召し捕りました。庄太はまだ帰って来ず、わたくし一人では手に余るかと思ったのですが、うかうかしていて高飛びをされると困るので、まあどうにかなるだろうと、多寡をくくって、わたくし一人でむかいました。夜の商売でありませんから、下総屋はもう大戸をおろして、潜《くぐ》り戸の障子に灯のかげが映《さ》しているので、わたくしは藤助を指図して、外から唯今と声をかけさせました。冥途の道連れにされた筈の藤助が、無事に帰って来たので、内でもおどろいたのでしょう。銀八がすぐに潜り戸をあけて表を覗く。そこへわたくしが飛び込んで、有無《うむ》を云わさずに縄をかけてしまいました。
 その物音を聞きつけて、奥から亭主の茂兵衛が出て来ましたから、これもすぐに押さえました。相手が二人ですから、一度に召し捕るのはむずかしいと思っていましたら、都合好く順々に出て来たので、案外にばたばたと片付きました。案じるよりは産むが易いとは此の事です」
 最後に残ったのは女二人の始末である。それについて、老人は少しく顔をしかめた。
「おさんとお種が銀八に引き摺られて、例の化け物屋敷へ封じ込められたのは、御承知の通りです。もちろん手足をくくって押入れに投げ込んで置いたのですが、今度は二人になったので、その翌日の夕方、ひとりの縄の結び目をほかの一人が噛んで解《ほど》いて、どうにか斯うにか二人とも自由のからだになって、そこを抜け出しました。時刻を測ると、わたくしが踏《ふ》ん込んだ少し前のようです。ひと足ちがいで残念でした」
「それにしても無事に逃げたんですね」
「ところが、無事でない。ともかくもそこを抜け出したのですが、夕方ではあり、土地の勝手を知らないので、何処をどう歩いたのか、迷い迷って品川から大森の海岸へ出てしまったのです。もう夜は更けて、眼のまえに暗い大きい海がある。そこらの漁師町へでも行って、なんとか相談すればいいのですが、年の若い娘二人、いろいろのひどい目に逢って、少しは気も変になっていたのでしょう。こんな難儀をする位なら、いっそ死んだ方がましだと云うので、二人は一緒に海に飛び込みました。幸いに夜網の船が出ていたので、二人とも引き揚げられましたが、息を吹き返したのはお種だけで、おさんは可哀そうに助かりませんでした。佐倉宗吾の芝居が飛んだ災難の基で、江戸へ死にに来たようなものでした。
 しかし金右衛門は浅手のために早く癒りました。これは茂兵衛のかたきですから、うかうかしていたら二度のかたき討ちをされて、おそらく無事には済まなかったでしょうが、茂兵衛や銀八が早く召し捕られたので命拾いをしました。為吉の傷は重いので一時はどうだかと危ぶまれましたが、これもふた月あまりで全快、国許から迎えの者が来て、金右衛門と為吉兄妹を引き取って帰りました」
「それから、道行の方はどうなりました」
 わたしが笑いながら訊くと、老人も笑った。
「この方はなんと云っても芝居がかりの粋事《いきごと》です。男も女も借金と云ったところで知れたものですから、わたくしが口を利いて、甲州屋の方は親許身請けと云うことにして、お若のからだを抜いてやりましたよ」
「めでたく徳次郎と夫婦になったのですね。そこで、その親許身請けの金は……」
「乗りかかった船で仕方がありません。半七の腹切りです。しかし、わたくしの顔を立てて、甲州屋でも思い切って負けてくれましたから、さしたる痛みでもありませんでした。そりゃあ貴方《あなた》、わたくしだって、人を縛るばかりが能じゃあない。時にはこういう立役《たちやく》にもなりますよ。はははははは」
 恐らく其の当時、半七老人は幡随院長兵衛の二代目にでもなったような涼しい顔をして、いい心持そうに反《そ》り返ったのであろうと察せられた。



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tat_suki
校正:大野晋
1999年4月26日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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